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映画『閃光のハサウェイ』もっとも正統なガンダムすぎて、もはやもう、ガンダムじゃない理由

エンタメ・アイドル 投稿日:2021.06.16 19:00FLASH編集部

映画『閃光のハサウェイ』もっとも正統なガンダムすぎて、もはやもう、ガンダムじゃない理由

『閃光のハサウェイ』パンフと劇場限定版Blu-ray

 

 ぶっちゃけ、あまり期待していなかった。

 

 ……が、『ガンダム』でこんなに震えるほど見入ったのは、えらく久しぶりだった。息を呑みながらスクリーンを凝視した。

 

 6月11日(金)から公開開始した映画『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』。 少なくてもここ20年は、『ガンダム』でこんな没入体験はできていなかった。なんだったら、『逆襲のシャア』以来かもしれない。

 

 

 恋愛コラムニスト・恋愛カウンセラーである筆者は、1979年に誕生した『機動戦士ガンダム』と同い年。幼少期に、テレビで『機動戦士ガンダム』の再放送と、『機動戦士Zガンダム』(1985年)をリアルタイムで観て以来のガンダムファンだ。映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(1988年)は当時劇場で観ているし、もちろん最新シリーズも含めて全『ガンダム』アニメを視聴してきている。

 

 そんな筆者が、映画『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』を観ての感想はおもに2つ。

 

 これはもっとも正統な『ガンダム』だ。

 

 そして、これはもはや、もう『ガンダム』じゃない。

 

 誤解しないでもらいたいが、最大級の賛辞である。

 

■“もっとも正統な『ガンダム』”だと思った理由

 

 公開3日間で観客動員数25万人超、興行収入5億円超を記録し、週末の興行収入ランキングにて1位という大ヒットスタートを切った本作。ブライト・ノアの息子、ハサウェイ・ノアが主人公を務める3部作の1作めである。

 

 反地球連邦政府運動「マフティー」のリーダーであるハサウェイは、偶然、敵対する連邦軍大佐ケネス・スレッグ、そして謎の美少女ギギ・アンダルシアと出会ってしまい――というストーリーだ。

 

“もっとも正統な『ガンダム』”だという理由は、この物語がアムロ・レイとシャア・アズナブルの最終決戦(『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』)から12年後を舞台にしており、ハサウェイがアムロとシャア、それぞれの意思を受け継いだ存在だからである。

 

『ガンダム』シリーズには、アムロとシャアから始まった“宇宙世紀もの”とは別世界観の作品も多いのだが、本作はアムロとシャアの物語の正統続編。しかも、原作小説を手掛けたのは、『ガンダム』の生みの親である富野由悠季監督だ。

 

 本作にはアムロが一瞬登場し、ハサウェイの初恋の少女クェス・パラヤもワンシーンだが登場。声優はもちろんオリキャス(オリジナルキャスト)の古谷徹、川村万梨阿が演じている。

 

 また、なんと驚きなのが、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』でハサウェイ役を演じていた声優・佐々木望が、別の役で出演しているのである。佐々木が演じるキャラがハサウェイと会話をするシーンが何度かあり、“初代ハサウェイ”と“新ハサウェイ”が共演するという粋な演出がたまらない。

 

 アムロとシャアが築き上げた『ガンダム』物語をストレートに受け継いでいるということが、おわかりいただけただろう。

 

■“もはや、もう『ガンダム』じゃない”理由

 

 “もはや、もう『ガンダム』じゃない”という理由は、正統続編ゆえに正統進化しすぎたからだといえる。

 

『ガンダム』シリーズは、過酷な戦争描写やモビルスーツ同士のダイナミックな戦闘シーンが大きな魅力だが、リアルな人間ドラマで魅せてくれるのも醍醐味だった。

 

 富野監督はかねてより、モビルスーツは人間ドラマを見せるための舞台装置のようなものでしかないと主張し、ともすれば、モビルスーツ不要論を唱えることさえあった。本作は、その富野監督が描いてきた人間ドラマを突き詰めた結果、もはや『ガンダム』とは思えないほど、濃厚かつ繊細な男女の心の交錯が表現されているのだ。

 

 特にヒロインであるギギのキャラクターが秀逸。一例だが、こんなシーンがあった。

 

 ギギはハサウェイがマフティー本人(マフティーのリーダー)であることを、じつに嬉しそうにあっさり看破して見せる。だが、ハサウェイが冗談めかして笑顔で否定すると、ギギは一瞬で無表情になり、視線も合わせずにこのセリフ。

 

「正直ね。そういうの好きよ」

 

 正体を見破られたのに、嘘を吐いたハサウェイ。しかし、それは彼が成そうとしている目的に対して忠実な嘘であり、ある意味“正直”ということなのだろうか。とはいえ、ギギが淡々と冷めた口調で呟いた「好きよ」は、皮肉に違いない。

 

 こんな大人びた振る舞いをするものの、突然情緒不安定になったり、子供のような無邪気な顔も見せたりするのである。

 

 ギギは清楚可憐で、みだら。ギギは幼女のように純粋で、艶めかしい。それらの矛盾を、無理なく同居させている。

 

 ギギとハサウェイの会話や、やり取りといった二人のそれは、「恋愛」という安易な定義には収まらない。ハサウェイとギギは、ホテルの同室に泊まっておきながら、体の関係どころかキスもしていないのだが、とにかく淫靡でいやらしい空気が常に漂っているのである。

 

 何を見せられているんだ? これは本当に『ガンダム』だったか? と途中で思うほどの心の機微が表現され、お子ちゃま置いてけぼりで大人にしか理解できないような展開。

 

 ちなみに95分間の上映時間のうち、主役機ガンダムが登場したのはラスト約15分。そこからのモビルスーツ戦はスピーディで大迫力だったが、逆に言うと大半は人間ドラマが丹念に描かれていた。

 

 これは、もはやもう『ガンダム』じゃない――。

 

●堺屋大地
恋愛をロジカルに分析する恋愛コラムニスト・恋愛カウンセラー。これまで『女子SPA!』『スゴ得』『IN LIFE』などで恋愛コラムを連載。現在は『文春オンライン』『週刊女性PRIME』『日刊SPA!』などに寄稿中

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