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星野源、宮藤官九郎、麒麟川島の共通点は「ハガキ職人」川島に聞いた “創作の原点” とは
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.06.21 11:00 最終更新日:2021.06.21 11:00
先月、女優の新垣結衣さんとの結婚を発表し、話題を集めたシンガーソングライター・星野源さん。
『池袋ウエストゲートパーク』『あまちゃん』など多くのヒット作の脚本を手掛ける脚本家・宮藤官九郎さん。
3月からスタートした朝の情報帯番組『ラヴイット』のMCをはじめ、多数のバラエテ番組に引っ張りだこの芸人・川島明さん。
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各界で長きにわたり活躍し続けるこの3人には共通点があります。それは、ラジオの「ハガキ職人」出身だということです。ハガキ職人とは、ラジオ番組に頻繁にネタを投稿する常連リスナーのこと。ラジオを愛する3人は、タレントになった現在もパーソナリティを続けています。
先日放送された『星野源のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)で、星野さんは尊敬する小堺一機さんが、音声サービスで星野さんの結婚を祝福するだけの回をアップしていたのを発見し、それがとてもうれしく「グッときた」と話していました。
星野さんが喜びもひとしおだったのは、学生時代、小堺さんと関根勤さんがパーソナリティを務めていた『コサキンDEワァオ!』(TBSラジオ)のヘビーリスナーでハガキ職人だったからなんです。
星野さんは『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』(TBSラジオ)にもハガキを送っていました。番組でハガキを読まれ、岸谷さんが笑ってしばらくしゃべれなくなるほどウケたときの喜びは、一生忘れないと放送作家との対談で話しています。ちなみに当時のラジオネームは『ジョン・レノン』。
宮藤官九郎さんも、学生時代にビートたけしさん、タモリさん、とんねるずのラジオ番組にハガキを投稿。特にたけしさんの大ファンで、高校生の頃はかなり採用されており、カバンにハガキを常に持ち歩いていたといいます。
そして川島さん。
川島さんは、大喜利番組『IPPONグランプリ』(フジテレビ系)や『フットンダ王決定戦』(日本テレビ系)で優勝経験があり、『#麒麟川島のタグ大喜利』(宝島社)を出版するなど、誰もが認める大喜利の実力者です。
川島さんの大喜利の強さの礎となったのは、中学生の頃から始めたラジオのネタ投稿にあったと思われます。ただし、そんな川島さんですら、ハガキ投稿を始めた当初は意外にも苦戦したと、以前、筆者に話してくれました。
「電気グルーヴさん、ウッチャンナンチャンさん、とんねるずさん、雨上がり決死隊さんなどのラジオにハガキを送っていましたが、全然読んでもらえなかったんですよ。そうなると『おもろいはずやのに何で読まれへんねん? ハガキはちゃんと届いてんのか?』となって、『配達員が捨ててるんちゃうか?』と疑いだしたんです。だから僕、ちゃんと配達員がポストから回収してるか確認しに行きましたから(笑)」
当時、どうしてもラジオでハガキを読まれたいと思った川島少年は、お笑いとは関係のない、おじいちゃんが1人でやっている朝の俳句ラジオに、ハガキを出しはじめたと言います。
「そのラジオは競争率も低いし、15歳が送った地点で珍しがって読まれるんですよ。だから毎週景品で知らんおじいちゃんが写ったテレフォンカードが家に送られてきてました(笑)」
川島さんは吉本の養成所に通ってるときにも、TKOがラジオパーソナリティを務めていた『大喜利コーナー』にハガキを投稿していました。そのときはさすがに読まれたそうです。
「TKOの2人に投稿していたことを伝えたら、『おまえか!』ってわかってくれました。その頃の投稿は芸人としての自主トレという感じでしたね」
3人とも学生時代からハガキ職人として創作の腕を磨いてきたからこそ、脚本やネタや曲作りなど、現在のアーティスト活動が輝きを放っているのではないでしょうか。
インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。