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ビートルズ来日!素顔を撮ったカメラマンが回顧するジョン・レノン “脱走” 騒動/6月29日の話
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.06.29 06:00 最終更新日:2021.06.29 06:00
1966年6月29日、世界的ロックバンド・ビートルズの4人を乗せた飛行機が羽田空港に降り立った。翌日の30日から7月2日までの3日間、日本武道館で来日コンサートが予定されていた。
空港には、熱狂的なファンが押し寄せ、470台の車と約2000人のファンが追い返されたという。
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当時、ビートルズは日本でも人気で、レコードもよく売れていた。マネージャーのブライアン・エプスタインが新たな市場として日本に目をつけ、コンサートを企画。メンバーたちも仏教や禅などの東洋思想に興味があり、日本に来たがっていたという。
そして来日が実現する。羽田空港に到着したビートルズは、厳戒態勢のなか、ヒルトンホテル(現・キャピトル東急ホテル)へ移動する。
そんなビートルズのメンバーを、ホテルで待ち構えていたカメラマンがいた。当時22歳だった佐々木恵子さんである。佐々木さんは、警備の網をかいくぐり、ホテル内に潜入していた。
「まだ隠し撮りをするようなカメラマンがいなかった時代で、誰にも注意されず、ホテルのなかに入れました。エレベーター前やホテルの玄関で澄ましていられたのよ。こんな脇の甘さ、今じゃ考えられないわね。一応、カメラマンっぽく腕章もしていましたから、スタッフたちは公式のカメラマンだと間違えたんでしょう」
最初に4人を撮影できたのは、武道館公演の初日が終わり、メンバーたちがホテルに戻ってきたタイミングだった。
「夜になってスタッフが慌ただしく動きはじめて、私も右往左往。けれど、地下の駐車場に警備員が集まってきたので、『ここに帰ってくる!』と確信しました。
緊張しながら待っていると、ピンクのキャデラックが到着したので、すぐに駆け寄って夢中でシャッターを切りました。このとき、ポールが一瞬笑顔を見せてくれたのを覚えています」
この日の公演は「Rock And Roll Music」から始まり、「Yesterday」などを挟みながら「I’m Down」で締めくくられた。約30分間で11曲を演奏する短いものだったが、ビートルズのコンサートではこれが普通だったという。なお、前座は若き日の内田裕也やドリフターズが務めていた。
当時、メンバーは全員外出禁止を言い渡されていたが、ホテルを抜け出し、ショッピングを楽しんで帰ってきたジョン・レノンも撮れたという。
「ちょうど、ジョンが帰ってきたところをエレベーター前で撮影しました。紙袋をいくつか大事そうに抱えていて、なかに入っていたのは骨董品でした。日本の骨董品が好きで、青山にあった朝日美術や、原宿のオリエンタルバザールに行ってたんですって。
“脱走” は、ポール・マッカートニーもやっていました。お付きのスタッフが滞在中に夜の街に行ったらしく、それを聞いたポールが『僕も行きたい』って言いだして。でも、報道陣に車を尾行されて、結局は行けずじまいだったみたい(笑)」
ビートルズは、7月3日の午前中に日本を飛び立った。メンバー全員がそろった来日は、これが最初で最後だった。