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名曲散歩/上田正樹『悲しい色やね』詞を聞いて「これはあかん」とがっかり
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.07.11 16:00 最終更新日:2021.07.11 16:00
東京・神田の古いビルの2階。そこには夜な夜な紳士淑女が集まり、うんちくを披露しあう歌謡曲バーがあるという。今宵も有線から、あの名曲が流れてきた。
お客さん:お、このイントロは上田正樹の『悲しい色やね』。ふだんは楽しく聞こえる関西弁だけど、この曲の関西弁は哀しい響きを持っているよねえ。
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マスター:1982年にリリースされたときは初回プレス3000枚に過ぎなかったという。
お客さん:あまり期待されていなかったんだ。
マスター:『悲しい色やね』はアルバムのなかの1曲としてまずメロディーから先に作られた。作曲したのは林哲司。
お客さん:新進気鋭のメロディメーカーとして頭角を現していた頃だ。
マスター:林は上田正樹のあのハスキーな歌声に、あえて美しいメロディーをぶつけてみようと考えたという。ジョー・コッカーの「ユー・アー・ソー・ビューティフル」のような……。
お客さん:『愛と青春の旅立ち』のあのダミ声の歌手が歌う「ユー・アー・ソー・ビューティフル」は確かに美しい。
マスター:林は美しいメロディーを書くことを信条としていて、この曲にも美しい歌詞が載るものだと思っていた。ところが、出来上がった詞を聞いた瞬間、がっかりしたというんだ。
お客さん:なんで? あんなに素敵な詞なのに……。
マスター:理由はただひとつ、関西弁だったから。作詞家・唐珍化が書いた関西弁の「泣いたらあかん」というフレーズを聞いたとき、「これはあかん」と思ったという。
お客さん:自分のイメージが崩壊したんだね。
マスター:ところが、アルバムの1曲に過ぎなかった『悲しい色やね』は、その完成度の高さからシングルに格上げされる。そして発売から半年以上たって関西で盛り上がり始めた。
お客さん:関西地区のラジオや有線放送は見逃さなかったわけだ。
マスター:さらに東京方面でもヒット。『ザ・ベストテン』の最高位は6位だった。林哲司は「美しいメロディーに、美しい詞を載せた曲だったら、化学反応は起きず、たぶん聞き流されていた。歌に対する認識が甘かったことを教えてくれた」と、のちに語っている。
お客さん:林哲司と唐珍化といえば、その後、『悲しみがとまらない』(杏里)、『サマー・サスピション』(杉山清貴&オメガトライブ)、『北ウイング』(中森明菜)などのヒット曲を次々と生み出す名コンビとなったよね。
おっ、次の曲は……。
文/安野智彦
『グッド!モーニング』(テレビ朝日系)などを担当する放送作家。神田で「80年代酒場 部室」を開業中
参考:林哲司『歌謡曲』(音楽之友社)/馬飼野元宏『昭和歌謡 職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)