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ダチョウ倶楽部・肥後克広が明かす鉄板ネタ誕生秘話「熱々おでん」生みの親はビートたけし
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.07.24 16:00 最終更新日:2021.07.24 16:00
「お笑いにどう向き合えばいいのか」
思い悩んでいたダチョウ倶楽部・肥後克広に、所ジョージは「誰もダチョウ倶楽部にちゃんとしたネタは求めてないよ。遊んでる、君たちが見たいんだよ」とアドバイスした。この言葉で肥後は「気が楽になった」と言う。
「熱々おでん」「熱湯風呂」「どうぞ、どうぞ」。肥後が「伝統芸」と表現するダチョウ倶楽部の鉄板ネタ。まさに “遊び” だが、これらはどのようにして生まれたのだろうか。
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――ダチョウ倶楽部といえばおでんネタ。誕生秘話を教えてください。
「今でこそダチョウ倶楽部が普通にやっていますけど、あのネタはまさしく『伝統芸』なんです。1980年代に放映された『オレたちひょうきん族』で(ビート)たけしさんと鶴太郎さんがやっていたネタでした。
いつ頃から僕たちが披露するようになったのか記憶が定かではないんですけど、確か、何かの番組で鶴太郎さんにおでんをつける役を、たけしさんの代わりに僕らがやったんですよね。
そこからです。大先輩方の芸を引き継げるというのはうれしい限りです」
――お約束で上島さんが落ちる熱湯風呂はどうでしょうか。
「これはたけしさんが司会をしていた『スーパーJOCKEY』でやっていました。
ある日、番組ディレクターさんが僕たちの楽屋に来て、上島さんに『熱湯長男になっていただけませんか』って言うんです。
『熱湯長男? なんなんだろう』と不思議に思っていましたが、詳しい説明もなかったので上島さんはただ『イエ~い』と言いながらお湯をかき回していました。こうして伝統芸になりました。
でも、何だったんだろう、熱湯長男って(笑)」
――「どうぞ、どうぞ」は偶然の産物だったと聞いたことがあります。
「はいはい、それね。あれはナインティナインさんがやっていたテレビ朝日の深夜番組『ナイナイナ』のなかで偶然に生まれたんです。
バンジージャンプするオチのコントなんですけど、台本が表と裏のふたつあって、表は僕が飛ぶ、裏は上島さんが飛ぶという流れだったんです。
上島さんがクレーン車で吊るされ、その姿を別のクレーンから撮影するという設定。ものすごく制作費がかかっていたんです。
もちろん、上島さんは裏の台本のことは知りません。そして番組は進行。ところが上島さんが怖がって先に進めない。
しかたなく、『じゃあ、僕が飛びます』と言ったら、ナイナイさんが『いやいや、これは僕たちの番組だから僕たちが飛びます』となって。
それを見ていた上島さんが『わかった。僕が飛ぶよ』と言ったんです。それでみんなが『そうですか。じゃあどうぞ、どうぞ』と言ったんです。
だから『どうぞ、どうぞ』の最初は、マジのやりとりだったわけです(笑)。
バンジーですか? 結局、誰も飛びませんでした。逆バンジーも考えたんですけどね。とんでもない制作費でしたが、最後はディレクターさんが『面白いからOK!』と言ってくださって。ホッとしましたよ(苦笑)」
ひごかつひろ
1963年生まれ。沖縄県出身。1985年に寺門ジモン、上島竜兵、南部虎弾とダチョウ倶楽部を結成(南部は1987年に脱退)。昨年亡くなった志村けんさんの「バカ殿」にもレギュラー出演していた