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稽古するほど舞台が怖くなる…佐々木蔵之介「演劇とは、はかないもの」

エンタメ・アイドル 投稿日:2021.07.25 11:00FLASH編集部

稽古するほど舞台が怖くなる…佐々木蔵之介「演劇とは、はかないもの」

東京・駒沢「博多どかどか団」にて(佐々木蔵之介)

 

 うっかりすると通り過ぎてしまいそうな間口およそ半間(約90cm)の入口。店内は7人が座れるカウンターのみ。博多出身の萩尾和洋さんが切り盛りするこの店で、佐々木蔵之介は「酒量は底なし」といわれる大好きな酒を楽しむ。

 

「萩尾さんとは僕の友人の友人というご縁で知り合いました。開店は18年前。チラシ配りのお手伝いなどもしました」

 

 

 懐かしそうに目を細める。当時の佐々木は、2000年に出演したNHK連続テレビ小説『オードリー』で注目され、ドラマや映画への出演依頼が増え始めていた。

 

「『オードリー』は思い出深いですね。父母世代がよく観る朝ドラに出演することは、佐々木家はもちろん、親戚、ご近所の皆様に『俳優をやっている』と認知されることでもありますから」と笑う。

 

 実家の佐々木酒造が朝ドラにちなんだ酒を販売。売り上げを伸ばしたというオチもあった。

 

 もともと佐々木は家業を継ぐつもりだった。そのため神戸大学農学部を卒業後は商品宣伝のノウハウなどを学ぶ目的もあり、広告代理店に就職したのだが……。

 

「役者になりました(笑)。演劇との出合いは、大学入学直後に高校の同級生とともに演劇研究会に所属したことから。手作り感いっぱいの舞台をやっていました。

 

 広告代理店では大阪本社に配属されたので卒業後も演劇は続けました。劇団は舞台を作るだけでなく、興行を成功させるためプロモーションも必要。『これは家業に生かせる』と思ったんです」

 

 就職から2年半後に佐々木は退社。劇団活動に専念することにした。だが、そこに「退路を断つ」といった決意や悲壮感はなかった。

 

「今でもなぜあのとき、自分の意思で役者を目指したのかがわからないんです。家業があり、継ぐことが決まっていたわけですから。(気持ち的に)どうかしていたのかもしれません(苦笑)。ただ『役者としてダメだったから家業に戻る』という選択はなかったですね」

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