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スポーツ実況はいつ始まったのか…新人アナが成功させた日本初の「高校野球」生中継/8月13日の話
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.08.13 11:00 最終更新日:2021.08.13 11:00
1927年(昭和2年)8月13日、甲子園球場でおこなわれた第13回高校野球(当時の正式名称は「全国中等学校優勝野球大会」)が、初めてラジオで実況中継された。公共の電波で、スポーツ実況がおこなわれた最初の日である。
この日、実況を担当したのは、大阪中央放送局に所属していた魚谷忠アナウンサーだった。ちょうど前年に入局したばかりの新人だったが、強豪野球部の出身だったことから指名された。「いまピッチャーがボールを投げます、投げました、バッターが打ちました、あっ、大飛球です、中堅走ります」といった調子で、試合の状況を伝えたという。
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山梨放送アナウンサーとして野球実況の経験がある、駒澤大学文学部教授の深澤弘樹さんが、こう語る。
「当時のラジオには検閲がありましたから、ふだんの放送はすべて逓信省による台本チェックがありました。しかし、当然ながら、スポーツ実況は事前に台本を用意できるものではありません。議論の末、放送席に電波遮断機を持った係官が同席し、不適切な言葉が飛び出した瞬間に放送を中断できる措置が取られています」
実際には放送中止になることもなく、視聴者からは好評だったという。以降、スポーツの実況中継が増えるなか、アナウンサーたちも各々の実況スタイルを模索していくようになる。
「当時の実況者で有名なのは、松内則三さんや河西三省さんでしょうか。松内さんは、1929年の早慶戦で『夕闇迫る神宮球場、ねぐらへ急ぐカラスが一羽、二羽、三羽……』と球場の様子を語るなど、講談調の語り口が人気となりました。
松内さんと対照的だったのが、河西さんです。ひたすら面白い語りを意識されていた松内さんに比べると、河西さんはデータを中心に、非常に写実的な実況をされる方でした。
河西さんの実況を聞いていると、実際の試合を見ずにスコアブックをつけられるともっぱらの評判だったのです。それだけに、1936年のベルリンオリンピックで『前畑! 前畑がんばれ! がんばれ! がんばれ!』と、ふだんの冷静なスタイルをかなぐり捨てた白熱の実況は大きな話題を呼びました」
現代のスポーツ実況では、河西アナが確立した写実的な語り口が主流となっている。スポーツは、名実況あってこそ、盛り上がるものなのだ。
写真・朝日新聞