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千葉真一さん 美人スタントウーマンに「思いっきりかかってきなさい!」教え子たちの感謝秘話
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.08.23 20:58 最終更新日:2021.08.23 20:59
アクション俳優・千葉真一氏が8月19日、82歳で亡くなった。『殺人拳』シリーズ、『仁義なき戦い』などのヤクザ映画、『柳生一族の陰謀』をはじめとする時代劇まで、幅広く活躍した。そのアクロバティックな演技は海外でも人気を集め、米国の映画監督、クエンティン・タランティーノも「千葉ファン」の一人であると公言している。
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そのタランティーノは、2019年公開の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で、スタントマンを主人公にしつつ映画業界の内幕を描いた。千葉氏も、アクションスターを養成する「ジャパン・アクション・クラブ(JAC)」を1970年に創設。俳優のほか、多くのスタントマンを輩出した。
その一人である田中里佳さんは、JAC21期生のスタントウーマンだ。
「私がJACの養成所に入ったのは約30年ほど前です。毎年夏・冬恒例の合宿が開催され、千葉さんもスケジュールが合えば同行してくださいました。たくさんの生徒たちの前で、ひときわ目を輝かせながら熱く夢を語る姿は、その場にいる誰よりも少年のようでした。
のちに私がJACを辞めて、初めて現場でご一緒したドラマ『聖龍伝説 LEGEND of St. DRAGON』では、主人公の安達祐実さんの吹き替えを私が担当し、その義父役の千葉さんと組み手をして、吹っ飛ばされるシーンがありました。私がすごく緊張して、遠慮しているのを、千葉さんは気づいてくださって。両手を大きく広げながら『思いっきりかかってきなさい!!』と叱咤激励していただいたのを鮮明に覚えています。
私が養成所にいた数年間にも、数百名の生徒が門戸を叩き、怪我や挫折・家庭の事情で去っていった人もたくさんいました。50年の歴史で考えると、何万人もの人がJACを目指し、さらにファンの方々を含めると、膨大な数の人がJACに、そして千葉真一さんに心を奪われたと思います。ひとりひとりの大切な人生の中で、青春の1ページになっていることこそが、まさに千葉さんがレジェンドであると感じています。同じ時代に生きることができてたいへん光栄です。
30年前は、今のようにCG技術も進んでおらず、生身の俳優が体当たりでアクションを演じました。その映像は、何度見返してもパワーをいただきます。そして、それを支える多くの情熱溢れる作り手たちがいたからこそ、成し得た業であると教えていただきました」
同じくJAC出身のスタントウーマンの高岩利恵さんも、小学生のころに千葉氏を見て憧れ、入団した15期生だ。
「小学生のころJACを知り、今もこうしてアクションにかかわることができているのも、JACという団体を築き上げてくださった、千葉真一さんがあってのことです。
初めてご一緒したのは、JACがミュージカルをやっていたころ。新宿コマ劇場で、千葉さんと同じ舞台に立たせていただきました。
まだJACの大阪養成所にいて、中学を卒業したばかりの私にとって 親元を離れて初めての東京。右も左もわからないまま舞台稽古に通う日々で、必死でしたが、千葉さんは私たちのような若いメンバーを気遣い、優しく接してくださいました。
あの時の経験があったからこそ、この世界で頑張っていこうという決断ができました。
正式にJACメンバーになることができ、合宿やイベント、日光江戸村、撮影などで何度かご一緒させていただきましたが、その後、私の特撮番組の仕事が決まってからは、お会いする機会がないまま……。
今、当時を振り返り、寂しさと感謝の気持ちでいっぱいです」
千葉氏は、晩年も「新しいことをやりたい」と、あくなき探求心を見せていた。その志は門下生、そして女優で殺陣教室を開講する長女・真瀬樹里、米国で活躍する俳優の長男・新田真剣佑、同じく俳優の三男・眞栄田郷敦らに受け継がれている。