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永島敏行、農業経験が演技に生きる「僕は米粒の1つ。でもその1粒があって作品ができる」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.09.08 11:00 最終更新日:2021.09.08 11:00

永島敏行、農業経験が演技に生きる「僕は米粒の1つ。でもその1粒があって作品ができる」

東京・新橋「新橋 有薫酒蔵」

 

「こちらのお店とは、とてもおもしろい縁があるんです」と、永島敏行が訪れたのは新橋にある「有薫酒蔵」。通い始めてもう30年になるという。

 

「最初にお邪魔したのは、今はありませんが東京駅八重洲口のお店です。マネージャーと『どこかで食事をしよう』ということになり、飛び込みで入りました。

 

 

 僕は東京湾の近くで育ちましたから、九州有明の新鮮な魚介類が食べられて大満足。すぐに通うようになりました。当時は珍しかった芋焼酎のクセは衝撃的でしたけど(笑)」

 

 そして「おもしろい縁」を教えてくれた。

 

「お店の女将さんと僕の妻が山口県立岩国高校の先輩後輩の間柄だったんです。同窓会で妻が偶然、僕が大好きなお店の女将さんであることを知ったそうです。こんなことって、あるんですね」

 

 永島は「きびなごのお刺身」や「馬さし」を味わいながら44年になる役者人生を語った。

 

■映画の一般公募に合格「野球小僧」から俳優

 

 デビュー作は、人気野球漫画を実写化した映画『ドカベン』(1977年)。このデビューには、永島自身が根っからの「野球小僧」だったことが少なからず関係している。

 

「小学生時代は日が暮れるまで三角ベースで遊びました。中学も野球部。千葉市立千葉高校では弱小チームだったこともありましたが、四番バッター。専修大学でも準硬式野球部に所属しました」

 

 生まれが千葉県だったことも影響していた。

 

「千葉は野球が盛んで、長嶋茂雄さんをはじめ、ひとつ年上に掛布雅之さん、同学年に石毛宏典さん、下の学年には篠塚和典さんなどプロ野球で活躍した方がたくさんいます。だから野球は身近でした」

 

 しかし、プロ野球選手になれないことはわかっていた。漠然と「卒業後は実家の旅館を継ぐんだろうな」と思っていた。だが、大学2年生のとき「野球」が永島の人生を大きく変えた。

 

「父から『書類選考が通ったから明日、東映に面接に行け』と電話が入りました。僕はまったく知らされていなかったけど、父が映画『ドカベン』の一般公募に応募していたんです。『合格するわけないし、大学時代の思い出になれば』くらいの気持ちだったのでしょう。そんな感じですから僕も興味本位で受けました」

 

 結果は、合格。

 

「ピッチングフォームが評価されたようです。そりゃあ、現役選手でしたから」

 

 役柄は野球部のキャプテン長島。撮影中は東映の大泉撮影所の寮に泊まり込み、そこから大学に通った。だがスタッフの言葉は辛辣だった。

 

「夜、食事に連れていってくださるんですが、いつも『下手くそ。今すぐ学生に戻って旅館を継いだほうがいい』と言われました。実際、映画はものすごくよかったものの、僕の芝居はボロボロでした」

 

 役者を夢見ていたわけではなかったが、永島は「だんだん自分自身に腹が立ち『いつか見返してやる』と思うようになった」と振り返る。

 

 リベンジの機会はすぐにやってきた。再び父から「映画『サード』(1978年)の一般公募に応募した。面接に行け」と電話があった。

 

「懲りない親です」と永島は笑うが、その『サード』の演技が認められ『事件』(1978年)、『帰らざる日々』(1978年)と立て続けに出演し、同年度の国内主要映画賞の新人賞を独占した。

 

「『ドカベン』の演技があまりにも下手だったから仕事はこないと思っていました。だけどおかげさまでお声をかけていただき、感謝しかないです。大柄でジャガイモ顔、朴訥とした役者が少なかったから重宝されたのかもしれませんね(笑)。

 

 すべての作品に思いはありますけど、やはり1981年(公開)の『遠雷』でしょうか。『役者としてやっていけるかもしれない』と思わせてくれた作品です。立松和平さん原作で栃木県宇都宮市が舞台。ある農家を取り巻くお話です。

 

 東北新幹線の工事が始まり、田んぼと畑だった景色が一変。同時に生活も激変を余儀なくされてしまう。僕が子供のころ、千葉県沿岸部も工業地帯になり、同じようなことが起きました。だから『この役はどうしてもやりたい』と思いました。しかし同時に『この作品に対する自分の思いを表現できるか』と悩みもしました」

 

 そのとき、ある監督からかけられた言葉を思い出した。

 

「『台本を読んだとき、自分が何を感じたかを大事にしろ』と言われました。その思いを表現するのが役者。そのことを深く考えさせられた作品でもあり、今でもこの言葉は僕の役者としての基本です」

 

 役作りに真摯な永島は「役者に百点満点はない」と言う。だからなのか「自分が出演した作品を観ることは嫌いです」と打ち明ける。

 

「粗ばかりが見えてしまい、苦痛です。そうすると『役に対しての考え方が違っていたのか』と思い、へこんでしまう。妻とは絶対に一緒に観たくないです。一観客の立場だから感想がストレート。さらに、へこみます(笑)。どうしても観なければならないときは夜中に一人でこっそりと」

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