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永島敏行、農業経験が演技に生きる「僕は米粒の1つ。でもその1粒があって作品ができる」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.09.08 11:00 最終更新日:2021.09.08 11:00

永島敏行、農業経験が演技に生きる「僕は米粒の1つ。でもその1粒があって作品ができる」

東京駅の行幸広場で「丸の内行幸マルシェ×青空市場」を開催(永島敏行)

 

■「米作り」の道は俳優にもつながる

 

 永島には俳優のほかにもうひとつの顔がある。それは、農業家としての顔だ。きっかけは、30歳のときだった。

 

「本格的にボイストレーニングをするため、3カ月イギリスに滞在しました。そのときから『日本人』について考えるようになりました。しかし、答えが見つからない。ぼんやりと思い描いたのは『日本は米があって文化が進化した。米作りをすれば何かがわかるかもしれない』でした」

 

 37歳のとき、そのぼんやりが実現した。秋田県に帰っていた大学時代の野球部の仲間から「映画祭をやりたいから手伝ってくれ」と頼まれたことで、当時永島は秋田に通うようになっていた。

 

「娘もまだ小さく、子育てに悩みや迷いもありました。妻と『自然豊かな場所で小川に入ったり、泥んこ遊びをさせたいね』と話しているうちに『そうだ、米作りでそれもできるぞ』とひらめいたんです(笑)」

 

 一石二鳥。農家に「米作りを教えてほしい」とお願いしたが「遊び気分じゃダメだ」と断わられた。それでも永島は何度も頼み込んだ。思いは通じ、米作りが始まった。

 

「田んぼの広さは一反、300坪。田植えは手植えでした。野球で鍛えていたから体力には自信があったんですけど、ずっと中腰で、正直『やるなんて言わなければよかった』と思いました。だけど、やり終えたときの達成感はなにものにも代え難かったですね」

 

 米作りを経験して、永島は「自分は確実に変わった」と実感している。

 

「役者にとって経験は大切だと思いました。経験をしていれば必ずそれが生かされ、台詞や演技が自分のものとして表現できる。作品の中では僕も米粒のひとつ。だけどその一粒があって作品は完成する。そんなことを思いました」

 

 まっすぐな性格の永島。これからも直球勝負で人生に挑む。
 

 

ながしまとしゆき
1956年10月21日生まれ 千葉県出身 1977年、映画『ドカベン』でデビュー。1978年には『サード』『事件』『帰らざる日々』と3本の映画に出演し話題となり、日本アカデミー賞主演男優賞、ゴールデンアロー賞映画新人賞、ブルーリボン賞新人賞を受賞。1982年、映画『遠雷』でブルーリボン賞主演男優賞、ヨコハマ映画祭主演男優賞を受賞。映画『種まく旅人』シリーズに出演

 

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住所/東京都港区新橋1-16-4 りそな新橋ビル地下1階 
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休日/日曜・月曜・祝日 
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写真・野澤亘伸

 

(週刊FLASH 2021年9月7日号)

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