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お笑い界の2大お殿様・ビートたけし、志村けんにダチョウ倶楽部が仕えたきっかけは「代役」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.09.13 11:00 最終更新日:2021.09.13 11:00
お笑い界のお殿様といえば『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)で殿様役を演じた志村けんさんと、弟子や後輩芸人から『殿』の愛称で呼ばれているビートたけしさんが思い浮かびます。
その志村さんとたけしさんの両方に仕えていたのがダチョウ倶楽部さんです。2人の殿様に仕えるようになったきっかけは、いずれも代役でした。
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ダチョウさんが最初に仕えたのはたけしさん。たけしさんが司会の番組『スーパーJOCKEY』(日本テレビ系)に出演したことからです。
ダチョウさんの代名詞『熱湯風呂』は同番組が生みの親。しかし最初に『熱湯風呂』をやっていたのはダチョウさんではないと、東国原英夫さんから以前お聞きしました。
「熱湯風呂はダチョウ倶楽部より先に僕ら(たけし軍団)がやっていたんですよ。『押すなよ』も、熱湯で湯気が立っているのにたけしさんが押そうとするから、『自分の間で入らせてください。押さないでください。押さないでください』って言ってたら、たけしさんが『押せってことだろ?』でドン! ですよ(笑)」
『熱湯風呂』はもともと、同番組内の『THEガンバルマン』という、たけし軍団さんが体をはって奮闘するコーナーの1企画から始まりました。
同番組のスタートは1983年。ダチョウさんが出演し始めたのは1986年で、途中からなんです。出演のきっかけは、たけしさんとたけし軍団さんが写真誌『FRIDAY』の編集部を襲撃した『フライデー襲撃事件』でした。
この事件で、たけしさんと軍団さんの主要メンバーが謹慎になったことで、その代役としてダチョウさんが出演することになったのです。
そしてもう一人のお殿様・志村けんさんに仕えるようになったのは、1997年頃の『志村けんのバカ殿様』の出演からになります。
はじめは単発のゲスト出演から始まり、正式に仕えるようになったのは、2002年だったと以前ダチョウ倶楽部さんにお聞きしました。
上島「もともとはプロレスラーの川田利明と俺がよく飲んでたの。そしたらある日、川田から『志村さんと飲んでるから合流しないか』って電話があったんだけど、『いやいや、俺、挨拶ぐらいしかしたことないから』って断ったの。
それでも川田がしつこく電話してきたから、3回目か4回目の電話で『明日、早いからダメだって言ってんだろ!』って怒ったの。
そしたら電話口が志村さんで『俺も早いんだよ』って言われて。『すぐ行きます!』って(笑)」
『バカ殿様』の共演前は志村さんとダチョウさんが挨拶程度のお付き合いだったとは意外ですよね。
上島「それではじめて一緒に飲んで、そのときに『お前ら最近ネタをやってないだろ? 3分ぐらいバカ殿でネタをやってくんない?』って言われて。
だけど、ちゃんと話したのもそのときがはじめてだし、俺は冗談だと思って適当に『はい。いいですよ』って。
そしたら2日後にマネージャーから『バカ殿入りました』て言われたのよ。バカ殿ってすごい高視聴率番組だから、びっくりして」
ジモン「俺もそのころ麻布十番のレストランで偶然志村さんと会ったから挨拶したの。そしたら俺の会計を払ってくれてて『バカ殿よろしく』って言われて。『あれ? バカ殿なんか入ってたかな?』と思って確認したら入ってて」
肥後「それで最初は俺らは忍者の役でゲストとして2回ぐらい出てたの。その後に『バカ殿の家来がいなくなったから、お前ら家来になれ』って言われて」
ジモン「(家来の)田代まさしさんがいなくなって(笑)」
肥後「そこからバカ殿のレギュラーになったの」
2001年12月、田代まさしさんが覚せい剤取締法違反容疑で逮捕されました。
ダチョウ倶楽部さんは、たけし軍団さんと田代まさしさんの代役から殿に仕えることになり、見事そのチャンスをつかんだのです。
インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している