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元「モエヤン」が「ママヤン」に…「子育ての悩みをシェアできる場を作りたい!」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.09.19 11:00 最終更新日:2021.09.19 11:00
目の覚めるような赤と青の全身タイツ。その上にヌーブラをつけて「ヌーブラヤッホー」と笑顔を振りまくお笑いコンビ「モエヤン」が解散したのは、2013年のことだった。
それから8年、池辺愛と漣(さざなみ)さや香の2人は「いろいろあって激動の日々でした」と笑う。今回、改めて2人に会い、解散後に起きたことと、今後の展望について話を聞いた。
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ーー全盛期は、バラエティ番組のみならず、歌番組にまで登場するほどの大活躍でしたが、当時、どのようなことが印象に残っていますか?
漣「私の親は英語の先生をやっているんですが、『ヌーブラヤッホー』を始めたとき、『なんという格好で出ているんだ』と怒られ、無視されてしまいました(笑)。生徒たちが『ヌーブラヤッホー』とマネするのを見かけるようになっても、それが自分の娘だと言えずにいたようです。それでも、どんどん露出が増えていったので、最終的には子供たちにバラしたそうですが(笑)。
テレビ出演が増えると、ブログのコメントも増えていきました。誹謗中傷もいろいろありました。
あるとき、自閉症の娘さんを持つお母さんからの『まったく言葉を話せないうちの子が、テレビを見ながら「ヤッホー」と初めて言葉を発することができました。ありがとうございます』という書き込みを見つけて、この仕事をして本当によかったと思いました。
1人でも多くの方が笑ってくれたらいいなという思いで続けていたので、楽しんでいただけたことがすごい財産です。もう芸人としての復活は考えていませんが、あの頃は人生の黄金時代でした」
池辺「『ヌーブラヤッホー』で一気にテレビに出られるようになって、本当に楽しかったですね。でも、2008年、メーカーさんからお叱りを受けたため、ヌーブラネタは封印。その後は『ノーブラヤッホー』とフレーズが変更になったんですよ(笑)」
ーー2013年、漣さんのご結婚を機にモエヤンは解散。池辺さんにとって、この8年を一言で表すとどのような時代でしたか?
池辺「激動でした。結婚、2度の流産、2度の出産、都議選への出馬に落選と、さまざまなことがありました。最初の6年間は、ラジオでパーソナリティーをやっていて、とても楽しい時間でした。選挙は今年の話です」
ーー都議選からまだ2カ月ほどですが、初めての出馬はいかがでしたか?
池辺「告示日からの9日間は、相方も含め、たくさんの人が応援に来てくれたので心強かったのですが、その前の準備期間は孤独で、不安でしんどかったです。自分の政策をどうするのか試行錯誤したり、たくさんの書類を作成したりといった時間が半年ほど続きました」
ーー選挙活動中の手ごたえはいかがでしたか?
池辺「私の立候補した中央区では古くからの自民党支持者が多かったのですが、いざ街に出ると、『うちは党員だから票は入れられないけど、応援してますよ』など、温かい声をかけてくれる方もたくさんいらっしゃいました。
街頭での活動を続けるうちに、『ポスター見たよ』『あなたに入れるよ』と声をかけてくる方も増え、次第に手ごたえを感じられるようになりました。
結果は、約1万4000票余りのご支持を区民の方からいただいたものの、次点に終わったのですが、地盤も看板も資金力も乏しい新人候補としては惜敗だったとたくさんの方に言っていただけたことが救いです」
ーー選挙にかかる費用も大きかったのではないですか?
池辺「受験と同じで、不安産業だと思いました(笑)。名前を覚えてもらうために、ポスターの作製やチラシのポスティングで、何十万円、何百万円と費用がかかっていきます。ただ、それをやったからと言ってどれだけ効果があるのかはわかりません。
もちろんやれることは、やれる限り果敢に挑戦しましたが、手弁当での選挙でしたし、費用対効果がはっきりとしないポスティングを何度もできるほどの資金的余裕はありませんでした」
ーー今回は、残念ながら次点でしたが、立ち直るのにどのくらい時間が必要でしたか?
「体力的には1週間ほどで回復しましたが、精神的なダメージは大きかったと思います。もちろん当選できた方がよかったと思いますが、一生懸命頑張って落選したからこそ、見えてきたこともあります。
今回出馬して、現在の選挙制度が、若者や新たに政治の世界を目指そうとする新人にとって、いかにハードルが高い世界なのか、よくわかりました。若者や新しい政党が参入しにくい仕組みなので、公職選挙法などの選挙制度を変えないと、政治は変わらないと実感しました」
ーーもし当選していたらどんなことを実現したかったのですか?
池辺「性教育の充実をテーマに活動したいと思っていました。生命を育むための教育です。私は2度の流産を経験しています。これは私自身の反省ですが、35歳以上になると流産率は約20%にまで上がってしまうなど、流産を機に初めて知ったことがたくさんありました。
生命を育むための前向きな知識を女性たちに伝えることが重要だと思っています。知識を普及させるために、政治からのアプローチが早いのではないかと考えていました」
ーー今後、また選挙に出るご予定はありますか?
「ちらほらとお声がけをいただいておりますが、正直なところ、自分の中で今回の都議選の総括が終わったばかりですし、しばらくは家族との時間を優先させてもらいたいと思っています」