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トータルテンボス、COWCOW、5GAPが明かす「ルミネtheよしもと」若手時代のドタバタ「ペナルティのワッキーさんがエロマッサージ店で……」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.10.03 06:00 最終更新日:2021.10.03 06:00
新宿駅に隣接する商業ビル「LUMINE2」の7階にあるお笑いの劇場「ルミネtheよしもと」。貸しホールとして運営されていたルミネホール「ACT」が2001年、吉本興業が運営する劇場へと生まれ変わった。
座席数は458席+立ち見スペース。現在、お笑い専門劇場としては東日本最大のキャパを持つ。
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1997年にデビューしたトータルテンボスの藤田憲右(45)と大村朋宏(46)は、「ルミネ」の思い出と思い入れをこう語る。
大村「ルミネができたときはスターだらけ。皆さんが楽屋にいるので、僕たちは階段とか廊下にいました。だから、楽屋はどうだったか思い出そうとしても、思い出せない(笑)。
でも、それでほかの若手と仲よくなりました。次長課長の河本さんはエロマッサージ店にハマっていて、一緒についていったワッキーさん(ペナルティ)なんてヤラしてくれって土下座してましたよ(爆笑)」
藤田「舞台が終わってから、よく飲みに行ってましたね。僕らはずーっと劇場に出続け、いちばんのルミネっ子かもしれない。出演回数が1位の可能性はあると思いますよ(笑)。
去年の4月ごろからコロナ禍でステージが減り、とにかく早く収束してほしいです。あと、会社への要望としては楽屋を増やしてほしい」
大村「僕は、なんばグランド花月に匹敵する、格のある劇場になってほしいですね。それこそ “東京グランド花月” と呼べるような。そういう劇場がこっちにもひとつ欲しいですよね。
テレビの仕事が入っても、ここのトリは渡さねえって思えるような劇場になってほしい。ぜひ、僕らが初代のトリを務めたいですね」
オープン時に、デビューしたばかりだった5GAPのトモ(45)とクボケン(40)にとって、“試練” もあったようだ。
トモ「当時若手は階段にたむろし、あるとき僕らがそこに座ってたら見回りが来て、『こんなとこでサボるな』と怒鳴られました。それまでは “500円芸人” だった(当時の若手はゴングショーを1回勝ち抜くごとに100円ずつギャラが上がっていき、5回勝ち抜いて500円芸人になると本番でネタを披露する権利が得られる)んですけど、0円からやり直しになったんです(笑)」
クボケン「あれはひどかった。その後、階段に居座ることは禁止されました」
トモ「若手のときは、ずーっと楽屋で寝ていた時期があります。出番の合間の風俗通いは流行りました(笑)。行きつけの店が狭くて隣の声が聞こえる。先輩が『それはダメですー!』と叫ぶんで、爆笑しちゃって集中できなかった」
クボケン「当時のお客さんに言いたいのは、1日3公演なら1公演めを見るべきでしたね。2ステ以降はパチンコで負けてしょんぼりしてたり、ヌいちゃって賢者だったりで、テンションが下がってた(笑)」
トモ「昔はめちゃくちゃでしたが、今は秩序があります(笑)。お世話になった『ルミネ』には、これからも出続けます!」
COWCOWの多田健二(47)と善し(46)は、名だたるスター芸人らに囲まれてきた、と語る。
多田「僕らは出番の日を『魔の月曜日』って呼んでいて。当時は極楽とんぼさん、ロンブー、ガレッジセール、新喜劇の今田耕司さん班に山崎邦正(現・月亭方正)さんや藤井隆さんと、錚々たるスターが出て、お客さんもパンパン。
それでも僕らはへんに芸歴があったから(1993年デビュー、ロンブーは同期)トリをまかせてもらえ、スター軍団のなかでのプレッシャーはすさまじかった。
その後、『はねるのトびら』で大人気のキングコングやインパルス、ロバートが出ても僕らがトリ(笑)。
そして『爆笑レッドシアター』がブームになり、レギュラーのはんにゃ、フルーツポンチ、しずるが出ても僕らがトリ。今の第7世代が出ても僕らがトリ(笑)」
善し「お笑いを続けられているのはありがたいですけどね。それにしても、僕ら20年出ているのに、この劇場にホーム感はゼロなんですよね(笑)」
多田「今はEXITのホームですね。1日3回の公演ではEXITのお客さんが8割で、しかも3回連続で観るお客さんばかりだから、僕らのネタも3回観るんです(笑)」
善し「とにかく『ルミネ』には、ずっと残ってもらいたい」
20年間、お笑いの劇場のトップランナーとして走り続けた「ルミネtheよしもと」。ベテラン芸人たちも、強い思い入れがあるのだ。
(週刊FLASH 2021年10月12日号)