東京・神田の古いビルの2階。そこには夜な夜な紳士淑女が集まり、うんちくを披露しあう歌謡曲バーがあるという。今宵も有線から、あの名曲が流れてきた。
お客さん:お、このイントロは菊池桃子の『青春のいじわる』。普通の女の子っぽさがたまらなかった。
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マスター:1984年、菊池桃子のデビュー曲。『ザ・ベストテン』にはランクインしなかったけれど、スポットライトのコーナーで、同期の岡田有希子と一緒に登場した。
お客さん:実際にベストテン入りしたのは?
マスター:3曲目の『雪にかいたLOVE LETTER』、ここから1987年の『ガラスの草原』まで10曲連続ベストテン入りしている。
お客さん:『卒業』『もう逢えないかもしれない』『Say Yes!』…いい歌が多かったよな。
マスター:実は菊池桃子の楽曲は、極めて異例な作られ方をしている。作曲家がデビューからずっと同じ人物、林哲司なんだ。
お客さん:1人が長い間担当するのは珍しいんだね。
マスター:菊池桃子が「ラ・ムー」に活動の場を移すまでの4年間、シングル12枚、アルバム4枚、全54曲をすべて担当。林本人曰く、これは前代未聞のことだという。
お客さん:そうなんだ。
マスター:林哲司らプロデュースサイドは、アーティスト菊池桃子を作り上げようとして、テレビ番組では振りをつけて歌わない、その代わりコンサートでは思い切りショーアップする、歌詞に「キス」という言葉を使わないなど、数々の決まり事を作ったそうだ。
お客さん:ありきたりのアイドル像からの脱却だね。
マスター:林哲司もアルバムには、あえてアイドルらしくない、ポップス系やソウル系アーティストが歌っても遜色ない作品をガンガン入れ込んだという。
お客さん:それだけプロフェッショナルな人たちに囲まれて、10代の少女がよく頑張ったもんだ。
マスター:レコーディングではプロデューサーに怒られまくり、泣きながらスタジオを飛び出し、東京タワーの近くの公園でさめざめ泣いていたところ、警察官に保護されたというエピソードもあるそうだ。
お客さん:裏方が本気で作品を作り、本人もそれに応えたからこそ、記憶に残るメロディが多いんだね。
おっ、次の曲は……。
文/安野智彦
『グッド!モーニング』(テレビ朝日系)などを担当する放送作家。神田で「80年代酒場 部室」を開業中
参考:菊池桃子『午後には陽のあたる場所』(扶桑社)/林哲司『歌謡曲』(音楽之友社)/『ザ・ベストテン いま蘇る!80'sポップスHITヒストリー』(角川インタラクティブ・メディア)