■オーディションは全敗、葛藤続きの下積み時代
まだ「ものまね」というジャンルが確立されていない時代。神奈月はコントや漫才などにもふれるため、池袋のショーパブでアルバイトを始めた。
「専門学校は半年で退学。店では女装や尻で割箸を割る芸などもしました。昼は素人参加番組のオーディションを受けたのですが、1年半たってもまったく受からない。審査員から『芸が熟れているんだよね。素人参加番組 “うまさ” を求めていないから』と言われました。
僕自身は2年近くショーパブに出演して客ウケもよく、『まあまあうまくなっているかな』という自負もあったので、言われたことがのみ込めませんでした」
不安ばかりが募った。「全国区」どころではない。神奈月は「もう、終わったかな」と思い詰めるまでになった。
そんなころ、コント赤信号の渡辺正行が主催するお笑いライブ『ラ・ママ』の舞台に出演する機会を得た。
「それまでものまねをする芸人さんの出演がなかったそうで、渡辺リーダーが『おもしろいんじゃないかな』と使ってくださったんです。
そして『しゃべり方が夜のお店っぽいね。そこを変えていこう。ものまねもマニアックな人のまねをするのではなく、一般のお客さんが知っている人のまねがいい。(コントなどの)ネタにもチャレンジするといいよ』とアドバイスをしていただきました」
次第に方向性がみえてきた神奈月は、ものまねのレパートリーも増えていった。そのひとつに、神奈月が「僕のものまねのベースになっています」という萩原流行さんのネタがある。しかし2015年4月、萩原さんはオートバイ事故で帰らぬ人になってしまった。
「(明石家)さんまさんから『神奈月、ここを狙うかぁ』と嬉しい言葉をいただいたネタです。流行さんとは番組で何度も共演させていただき、このネタをずっと披露していくと信じて疑いませんでした。訃報を聞いてからは(ネタとして)できませんでした。
そのことを流行さんの奥様が心配されたのか、事務所にいらっしゃって『主人が残したテンガロンハットです。神奈月さんにお渡しください』と言づけてくださいました。
電話でお礼を言うと『ずっと主人のものまねを続けてくださいね』と。その1年半後、単独ライブで披露しました。お客様からは『笑いながら胸が熱くなったよ』と声をかけられました」
■お笑いの中心になれるオリジナルを目指して
神奈月は、ものまねをするとき「ご本人やファンの方が不快な気持ちにならないように気をつけています。ものまねをする人はみんな僕が好きな人、興味がある人ですから」と語る。レパートリー数が200を超え、ベテランと呼ばれるようになった今も謙虚な気持ちでいることを大切にしている。
「声質が似ていることも重要ですが、あとは『こういうことを、こういうふうに言いそうだ』と半分くらい想像で作り込みます。作ってしまえばお客さんも『そういうふうに言っているかも』と思ってくださいますから」と話した神奈月が、ふと「ただ、ものまねはお笑いの中心的存在になれていないと思う」ともらした。
「ものまねはインパクトがあるので瞬発力で笑いは取れます。だけどダウンタウンさんやさんまさんのように『個々に確立されたオリジナルの笑い』ではないんです。言ってしまえば『ものまねをしている人たち』でくくられることもあります。
僕も『武藤敬司のものまねをする人』です。『ものまねをする人』を超えて『神奈月』という存在にならないといけないと思っているんです。
ここ10年は『新しい神奈月』をどうやって確立すればいいかを考えています。ほかの芸人さんがやってこなかったネタを探し、ものまねをしたくなった方がいたらとにかくチャレンジする。毎日、毎日、さまざまな葛藤の連続です」
この葛藤の日々が、神奈月が目指す「オリジナル」の実現への力になる。
かんなづき
1965年11月3日生まれ 岐阜県出身 高校時代から地元テレビ局の番組などでものまねを披露。高校卒業後、上京。池袋のショーパブでアルバイトをしながらステージに立ち、佐々木つとむ氏に師事。1990年代以降、数々のものまね番組でネタを披露して、2018年に3回放送された『ものまねグランプリ』(日本テレビ系)のすべてで優勝。史上初の年間完全制覇王者になった。11月3日に神奈月&原口あきまさ生誕記念トークライブ『1103~好きなこと言わせていただきます!~』を開催。YouTube「神奈月のカンチャンネル」も配信中
●東京国際ゴルフ倶楽部
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写真・野澤亘伸
(週刊FLASH 2021年10月19日号)