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名曲散歩/海援隊『母に捧げるバラード』 タイムリミットギリギリでヒット
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.10.31 16:00 最終更新日:2021.10.31 16:00
東京・神田の古いビルの2階。そこには夜な夜な紳士淑女が集まり、うんちくを披露しあう歌謡曲バーがあるという。今宵も有線から、あの名曲が流れてきた。
お客さん:お、このイントロは海援隊の『母に捧げるバラード』。はじめはコミックソングのように聞こえるけど、後半につれて泣けてくるんだよな。
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マスター:1973年リリース、海援隊の初ヒット曲だ。デビューシングル、デビューアルバムがまるで売れず、トークに自信があったコンサートでも、博多弁でしゃべると、聞きなれない方言に客は引いていったという。
お客さん:悪循環だねえ。
マスター:そのころ、同じ博多出身のチューリップが『心の旅』で大ヒットを飛ばす。焦る武田鉄矢、しかも、タバコ屋を経営していたお母さんとは「1年だけ」という約束で上京し、そのリミットが近づいていた。
お客さん:結果を出さなければ、博多に帰らなければならなかったのか。
マスター:そう、後がなくなった武田鉄矢は、3日かけて、ほとんど語りの歌『母に捧げるバラード』を書き上げた。それはまさに「母に捧げた、詫び状」だったという。
お客さん:最初の語り部分が標準語だったのは、デビュー当時の失敗があったからだね。途中から “博多弁” になる仕掛けだもんね。
マスター:そして、この歌が完成してすぐテレビで歌う機会に恵まれる。武田鉄矢は感極まって泣きながら歌った。その姿が九州でテレビ放映されるとジワジワと火がつき、ついに100万枚を超える大ヒットとなった。
お客さん:まさに9回裏、逆転満塁ホームランだ。
マスター:このヒットで母親を納得させ、そのまま芸能活動を続けることができた。その後、浮き沈みはあったけれどね。
お客さん:それにしても、50年近く芸能界の第一線にいるのはすごいよ!
マスター:当時、お母さんはタバコ屋には必要のない有線放送を取りつけ、毎日10回も息子の歌をリクエストしたという。
お客さん:親心だねえ。
マスター:そんなお母さんは、武田鉄矢がいつ博多に帰ってきてもいいように、大学の学費を払い続けていたというのは有名な話だ。
お客さん:すごいお母さんだよ、本当に。
おっ、次の曲は……。
文/安野智彦
『グッド!モーニング』(テレビ朝日系)などを担当する放送作家。神田で「80年代酒場 部室」を開業中
参考:武田鉄矢『母に捧げるバラード』(集英社)/富澤一誠『フォーク名曲事典300曲』(ヤマハミュージックエンタテイメントホールディングス)