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「ピースサイン」は井上順、「あっちむいてホイ」は桂文枝と萩本欽一が世間に広めた
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.11.01 06:00 最終更新日:2021.11.01 06:00
■「ピースサイン」はCMで広がった
井上順さんが、10月26日放送の『ノンストップ』(フジテレビ)にゲスト出演された際に、写真を撮るときの定番ポーズ「ピースサイン」を日本に広めたのはご自身だとお話されていました。
井上さんは1972年、カメラのCMをアメリカで撮影しました。そのときの外国人スタッフが井上さんに「順、ピース!」と言って、ピースサインをしながらあいさつしてきたそうです。
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撮影当時はベトナム戦争が起きていて、反戦運動でアメリカではみんなが「ピース、ピース」と言いながらピースサインをしていました。そこで井上さんが撮影のときにアドリブでピースサインをやってみたら、そのまま放送されたのです。
それまでの日本では、写真撮影のときにピースサインは誰もやっていなかったと井上さんは言います。しかしそのCMをきっかけにピースサインは世間に広まっていったのです。
■「あっちむいてホイ」が誕生したきっかけは
では、「あっちむいてホイ」を日本に広めたのは、どなたかご存知でしょうか。それは東西の大御所芸人、桂文枝師匠と萩本欽一さんだったと以前ご本人に取材した際にお聞きしました。
桂文枝「祇園でお座敷遊びをしていた時期があって、そこでやってた遊びを自分なりに変えて番組でいっぱいやりました。あっちむいてホイも『ヤングおー!おー!』(MBS)でやって、流行りましたね」
「あっちむいてホイ」は祇園のお座敷遊びから生まれたもので、意外にも大人の遊びから始まったものだったんです。
さらに「あっちむいてホイ」を全国的に広めたのが萩本欽一さんでした。
萩本「作家たちに『面白いギャグを考えろ』と言ってたら『あっちむいてホイ』を考えてきて。それで『スター誕生!』(日本テレビ)でやったら大ヒットして視聴率も大変な数字になっちゃって。だから作家に『お前、最高なものを作ったな。傑作だよ』って言ったら、その作家が僕の耳元にきて『実は僕が考えたんじゃないんですよ』って言うんだよ。
『どっからパクってきたの?』って聞いたら、『大阪に行ったときに道を歩いてたら、子供がやってて面白いなと思って。それで番組に紹介したんです』って。だから誰が作ったかはわからないんだよ」
前述したように、桂文枝師匠が番組で「あっちむいてホイ」をやったことにより関西で流行し、子供たちがマネするようになりました。それをたまたま放送作家さんが目撃したことで『スター誕生!』に採り入れられ、番組司会の萩本さんによって一気に全国に広まったのです。
「あっちむいてホイ」は祇園生まれ、バラエティ番組育ちだったんですね。
インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。