エンタメ・アイドル
元SKE48 高柳明音、私の宝物教えます!「卒業記念のミニチュアドレス」衣装さんには感謝しかない
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.12.12 06:00 最終更新日:2021.12.12 06:00
今春、SKE48を卒業した高柳明音(30)は、全力で駆け抜けた12年を振り返り、「ひとつの悔いもありません」と、白い歯をこぼした。
「もともとアイドルが好きで、やり続けてきた感じだったので、私にとっては夢のような時間でした。ただ12年間、ひとつの悔いもありませんというより、私の場合は悔いを残さないようにするために12年かかった……というのがより正しい言い方です(苦笑)」
【関連記事:SKE48「高柳明音」卒業写真集が発売決定!撮影はベトナムで】
けっして楽な道のりだったわけではなかったという。
「スタートから3年くらいはわりと順調だったんです。SKE48内でのポジションが上がったり、総選挙で上の順位をいただいたり、AKB48の楽曲に参加させてもらったり……今考えると、私が楽しいと思っていたときに、そのぶん悔しい思いをしていた人がいたということですが、当時はほかのメンバーのことを思いやることができなくて」
息苦しさに悲鳴を上げそうになったのは、6年め……。
「当時の私はまだ22、23歳。16、17歳のコがいっぱい入ってきて、明らかにチームの方向性が次世代に向かい始めたんです。まだ頑張りたいのに居場所がない。だったら、やめようと本気で思いました」
踏み留まれたのはNMB48との兼任になり、気持ちをリセットできたこと。そして、まだやり切っていないという強い思いからだった。
「あそこでやめていたら、絶対に後悔していたと思います。居場所がないというのは言い訳で。なかったら自分で探せばいい。もうちょっとで、自分に負けるところでした」
時代も、高柳に味方した。
「昔の48グループは、型にはめられることが多かったんですが、こうしたらもっと盛り上がると思うんですとか、みんなで作り上げる感じに変わっていって。2倍、3倍大変でしたけど5倍、10倍楽しかったです」
■自分の子供に明音と名づけるファンが……
AKB48グループには、チームに貢献したメンバーの卒業式に、卒業ドレスをプレゼントするという文化がある。
「王道は、プリンセスのようなふわっとしたドレスなんですが、自他ともに認める “お祭り女” の私は、和のテイストを取り入れて。衣装さんと一緒にイメージを膨らませてデザインを考え、生地を選んで……愛情と思い出がぎゅうぎゅうに詰まったドレスです」
今回、宝物として持ってきてくれたのは、衣装さんが生地の切れ端で作ってくれたミニチュアサイズのドレス。
「卒業ライブのDVDに、切れ端をプレゼントという購入者特典があって。私もお願いしたら、これが切れ端と一緒に届いたんです。もう、衣装さんには感謝しかありません」
卒業後、高柳は舞台の世界へ一歩を踏み出した。
「7年ほど前から表現者の高柳明音としても年に2、3本舞台に立たせていただいていて。生という点ではアイドルと同じなんですが、作る過程もアプローチの仕方もまるで違うところがおもしろくて」
SKE48では、最初に完成形があって、そこにメンバーひとりひとりがピースとしてはまっていきステージを作り上げていく。一方、舞台は――。
「ひとりひとりの立場、役割、セリフがあって、それを持ち寄ってひとつの舞台を作り上げていくという感じなんです。だから、舞台では出来上がったものが完成形になり、その完成形が毎日違うんです」
今、高柳が挑んでいるのは、名古屋で幕を開け大阪、東京と公演が続く戦国時代を舞台にしたアクションエンタテインメント演劇『ナナシ2021』だ。
「稽古はきついですけど、いいものを作っていくための自分との戦いは好きなので、今は日々、勉強&努力ですね」
これからの目標は?
「映画に出たいです! ドラマにも挑戦したいし、ラジオもMCもどんどんやっていきたい。日本全国の明音ちゃんのためにも、恥ずかしくない生き方をしたいと思います」
えっ!? それは、どういう?
「ファンの方で子供に明音と名づけた人が、知っているだけでも5、6人いて。名前の由来を知ったときに、恥ずかしくない生き方をしなきゃと思っているんです(笑)」
涼やかな明るい音色に誘われ、集まってきた人たちが自然と笑顔になれるように……。高柳明音の新たな挑戦はここから始まる。
たかやなぎあかね
1991年11月29日生まれ 愛知県出身 SKE48とNMB48のメンバーとして活躍し、2021年4月に卒業。趣味のカメラは写真展を開催するほどの腕前。現在は女優業を中心に、持ち前のトーク力を生かし、イベントのMCをはじめテレビ、ラジオでも活躍
写真・中村功
取材&文・工藤晋