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神田沙也加さん 母・松田聖子と二人三脚で歩んだ幼少期「聖子さんは毎年運動会の応援に来られて」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.12.24 16:45 最終更新日:2021.12.24 17:27
12月18日に急逝した女優の神田沙也加さん(享年35)。父・神田正輝(71)と母・松田聖子(59)が21日、北海道・札幌市内の斎場で、報道陣の囲み取材に応じた。
神田正輝は「近親者のみで葬儀をおこなうことができました。皆さんご協力ありがとうございました。あまり2人とも話すようなことではないので、しばらくの間そっとしておいていただけたら」。松田聖子は「寒いなか、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」と言葉少なに語った。
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1997年に離婚するまで、沙也加さんの幼少期を共に過ごした2人。沙也加さんの出生当時を知る芸能記者が振り返る。
「国民的スター・松田聖子の娘として、沙也加さんは出生当初から国民の注目の的でした。お宮参りには、生後30日の彼女の顔見たさにファン3000人、報道関係者約100人が押しかけるほどでした」
このときすでに、沙也加さんの芸能界入りは期待されていたという。
「お宮参りの時点ですでに食品、衣料品メーカーなどからCMの引き合いがきていたといいます。広告代理店関係者が、当時の取材で『親子3人で2億円程度が相場だろう』という話をしていましたね。また、多くの芸能プロダクション関係者も、『将来はうちから歌手としてデビューさせたい』と、まだ言葉も喋れない彼女にラブコールを送っていました」(同前)
母である松田聖子の溺愛ぶりは、沙也加さんが幼稚園に入園してからも変わることはなかった。当時の様子を本誌記者が語る。
「聖子さんは、幼稚園の運動会に毎年参加されていました。母として娘の成長を見守りたいという気持ちがあったのでしょう。ほかの方はトレーナーなどの服装が多かったのですが、聖子さんは真っ黒のパンタロンスーツに金の鎖を腰に巻いた格好だったのを覚えています。当然周囲の保護者は気づきますが、そんなことおかまいなしに声を張り上げて沙也加さんのことを応援していました」
「松田聖子の娘」という世間からの視線は、生後すぐから向けられていた沙也加さん。だが自身のたゆまぬ努力の結果、「親の七光り」という心ない批判をも跳ねのけるスターへと成長していったのだーー。
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