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小籔千豊、よしもと新喜劇の座長を勇退…「ビックマネーよりロングマネー」の精神で後輩育成

エンタメ・アイドル 投稿日:2022.01.17 06:00FLASH編集部

小籔千豊、よしもと新喜劇の座長を勇退…「ビックマネーよりロングマネー」の精神で後輩育成

 

 よしもと新喜劇の座長・小籔千豊さんが、今年で座長を勇退されることが1月14日に発表されました。

 

 よしもと新喜劇と言えば、関西では誰もが知る人気コンテンツで、現在も土曜日のお昼に毎週『よしもと新喜劇』(MBS)が放送されています。

 

 さらに深夜帯でも『よしもと新喜劇NEXT~小籔千豊に怒られたくない』(MBS)という、小籔座長をはじめ新喜劇の座員が出演するバラエティ番組も存在するぐらい人気なのです。

 

 

 しかし、関東ではキー局で放送されていないこともあり、あまり知られていません。

 

 そこで小籔さんは、10年前に家族を関西に残し、単身赴任で東京吉本に移籍し、自らを「アイアム座長」と呼んで新喜劇を広めるために尽力したのです。

 

 現在の座長は川畑泰史さん、すっちーさん、酒井藍さんが務めており、川畑さん以外は小籔さんの後輩に当たります。

 

 小籔さんは新喜劇の広報活動だけでなく、後輩の育成にも力を入れていると、以前取材したときにお聞きしました。

 

小籔「昔の吉本の社員に『僕は65歳まで新喜劇で飯を食おうと思ってて、ビックマネーよりロングマネーがほしい。一瞬だけ年収2億とかいらないんですよ。一発屋というより0発屋というか、65歳まで飯食えて、家族がそこそこの生活ができるようになりたいんです』と言いました。

 

 ということは、僕が65歳になるまで新喜劇があってくれないと、絶対あかんワケです。

 

 それでいろいろと考えると、『今の新喜劇のメンバーは高齢すぎるぞ』と。

 

 レジェンドが亡くなったとき、絶対に新喜劇の人気がボーンと下がるから、若手を育てんとあかん。

 

 自分が輝くというより新喜劇が輝いてほしいという思いを社員に言うても、もう一つピンと来てなかったです。

 

 僕の勢いがなくなり、おもろいことも思いつかなくなったときに、食わせてくれるのは後輩なんですよ。

 

 ということは、おもろい後輩を伸ばすことが僕が65歳まで続けられることにつながるんです。

 

 だから、しゃべりたくもないのに後輩に1人ずつ話しかけに行って。会話を5ターンぐらいしたら、おもろいかおもろないかわかるじゃないですか。『はい、こいつおもんない』みたいに勝手にオーディションしてました(笑)」

 

 小籔さんは、自分が長く生き抜くために、後輩育成に勤しんでいたのです。しかも、それは小籔さんが新喜劇に入団してまだ2年目くらいで、座長にもなっていないときだと言います。その頃から小籔さんは未来を見据えていました。

 

 座長歴がいちばん浅い酒井藍さんは、入団時から小籔さんが目をかけていた座員の一人でした。

 

小籔「藍ちゃんが入って来たときに、『はい、この子、お金になる』と思って。他の子にいじめられてやめられたらかなわんから、若手の子が10人ぐらいいるなかに藍ちゃんがおったら、藍ちゃんだけに『今度、飯行こうか?』って誘ってました。

 

『みなさん、俺はこの子につばを付けているんで、いらんことせんといてください』という意思表示をしてたんです。

 

 あのバリアがなかったら、藍ちゃんはやめてたかもしれません。でも、僕が藍ちゃん、すっちー、をかわいがり、後輩の面倒見がええのは、優しいとかじゃないんです。

 

 自分が65歳まで新喜劇を続けるためで、後輩に年金を払ってるようなもんなんです(笑)」

 

 小籔さんが目をかけていた2人は、見事に育ち、座長に就任しました。小籔さんは自分のためにやったと謙遜しますが、小籔さんが入団してからの20年は、広報活動や人材育成など新喜劇に計り知れない貢献をもたらしたと言えます。

 

 座長退任後も、新喜劇の公演はやるとコメントされていました。設定など新しい新喜劇を常に作り続けている小籔さん。よしもと新喜劇とはまた一味違った小籔新喜劇を見せていただきたいですね。

 

インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している

 

( SmartFLASH )

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