故郷は、岩手県陸前高田市。父親は自転車店とワカメ漁で一家を養った。体格がよかった村上弘明少年はよく手伝いをさせられたという。
「とにかく退屈な毎日で、『早くここから出たい』とずっと思っていました。イタリア料理が好きなのは、 “田舎になかった憧れの料理” だったからかもしれません」
瀟洒な住宅街にあるイタリア料理店「リストランテ ジェノヴァ」。村上はトスカーナ産の赤ワインを味わいながら苦笑した。家族はもちろん、近くで撮影があるときは共演者やスタッフを招くこともあるという。
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そして座り心地がよさそうな椅子に座りながら、「僕の役者人生も40年以上になるんですね」と感慨深そうにつぶやいた。
「学校の成績はわりとよくて、家族ぐるみのおつき合いをしていたお医者様のすすめもあって大学は医学部を目指しました。だけど仙台での予備校時代に名画座に通い詰めたこともあって3浪。結局、医学部進学は断念しました」
1978年、法政大学法学部に入学。「教職課程を取って教師になろう」と進路を決め、親にもそう告げたが……。
「入部した柔道部の友人が勝手に私の写真を映画『もう頬づえはつかない』(1979年)のオーディションに送りました。私が知ったのは書類選考を通ってから。驚きましたが、たまたま休みでおもしろそうだったので暇つぶしも兼ねて最終選考に行きました」
会場には男女それぞれ100人がいた。ほとんどがプロの俳優。村上は圧倒されながら「演技経験がない大学生が受かるわけがない」と思った。しかし数日後、プロデューサーに呼び出され、喫茶店で面会すると主演の男性役に決まったことを告げられた。
「そのとき『監督の東(陽一)が主演女優選びで迷っている。それが決まるまでは発表できないので待っていてくれ』と言われました。そうしたらある日、スポーツ紙に『もう頬づえはつかない』の主演女優と俳優が発表されていました。キツネにつままれた感じです。
のちに知ったことですが、桃井(かおり)さんが出演を熱望されて、『相手役が素人の大学生では釣り合いが取れないだろう』となり、奥田(瑛二)さんに決まったそうです」
村上は脇役で出演。素質を惜しんだプロデューサーは、「在学中だけでも俳優の仕事をしたらどうか。作品は紹介できる」と旧知の芸能事務所を紹介してくれた。事務所からは「アルバイトはしないでくれ」と月6万円の給料が支払われた。
芸能事務所に所属してすぐに『仮面ライダー』(1979年~1980年、TBS系)のオーディションに行かされた。
「本心は嫌々でした。黒澤明監督、小津安二郎監督などの名作を見まくっていたので、私の中で “変身” は俳優としての方向性が違うと思ったんです。
生意気でしたね。マネージャーに『どうせ落ちるし、オーディションは自己表現の場だから経験になる』と言われ、渋々行きました」
村上は主役の必須条件だったバイク免許を持っていなかった。そのためバイクテストでは、運転するバイクが関係者が座る席に突っ込みそうになるハプニングもあったが合格。この出演を機に仕事の依頼が相次いだ。
しかし、心のどこかで「好きでやっているというよりやらされている」という違和感があった。そんな村上が「初めて役者の仕事が楽しいと思った」という舞台が『タンジー』(1983年)。主役のプロレスラーを演じた。
現役レスラーによるトレーニングを受け、技も習得して初日の舞台に立った。劇場の中央に作られたリングの四方を客席が囲む演出で、それまで経験したことがない観客のリアクションを直に感じ、村上は全身を震わせた。
「この舞台を多くのプロデューサーが見ていたようで『必殺仕事人』シリーズの出演につながりました」
『必殺仕事人』は国民的人気時代劇。俳優なら出演を熱望するはずだが、村上はすぐに答えが出せなかった。
「先ほども言いましたが、僕は田舎が嫌でした。田舎のおじちゃん、おばちゃんの会話はテレビの時代劇ばかり。歌を歌えば演歌。時代劇と演歌。これは僕にとって田舎の象徴。だから、時代劇のお仕事には迷いがあったんです」
ではなぜ「必殺仕事人」シリーズに出演したのか。その理由は「カツラ」にあった。
「プロデューサーさんに『カツラをつけず、そのままのヘアスタイルで現代人として演じてくれ』と言われたんです。『それなら』とお引き受けしました。
役者のキャリアを重ねた今、あらためてこの作品を見ると藤田(まこと)さんの演技のすごさがわかります。そして緻密な映像美、感動的です。足掛け5年、4シリーズに出演させていただきました」
故郷での生活が退屈で都会に憧れた村上だが、40歳を過ぎたころから「郷愁」が胸をよぎるようになった。それは2011年の東日本大震災で大きくなった。
「陸前高田は壊滅状態で多くの犠牲者を出しました。『また今度ね』と言って別れたのに今度は来なかった。帰ればいつもそこにあると思っていたのですが…。嫌いだと思っていた故郷が、じつは “好き” だったことに気づきました」
2014年から岩手県の特使として、地元の魅力を全国に発信する役割を担っている。
「特使をさせていただくようになり、故郷のことを知る機会に恵まれました。少しずつですが勉強していくと、『人間は生まれ育った地形風土で形作られる』と感じるようになりました。
役者人生に思いを馳せることも多くなり『たくさんの人の支えがあって今がある』と感じています。大学の友人がオーディションに応募してくれたことも、プロデューサーが芸能事務所を紹介してくださったことも、すべて “導かれた” ことだと思っています」
村上は出演する映画『嘘喰い』(2月11日公開)にも導きがあったという。 “嘘喰い” と呼ばれる天才的ギャンブラーの斑目貘(横浜流星)と借金を抱えた梶隆臣(佐野勇斗)が日本の政財界を牛耳る闇倶楽部・賭郎のイカサマ師たちに挑むストーリーだ。
「中田秀夫監督から『アクションは映画の見せ場にしたい』と言われ意気に感じ、すぐにトレーニングを始めました。監督の的確な演出は、私を『嘘喰い』の世界観に導いてくれました」
最後に今後の夢を聞いた。
「この年齢になると『時間は無尽蔵ではない』と感じることが多くなります。だからこの年代にしかできないことを意識して作品に臨みたいですね。そして後世まで残る映画、語り継がれる名作にもっともっと出演したいです」
村上の表情が、名画座に通い詰めていた映画青年のころに戻っていた。
むらかみひろあき
1956年12月22日生まれ 岩手県出身 1979年にドラマ『仮面ライダー(スカイライダー)』で俳優デビュー。1985年からドラマ『必殺仕事人』シリーズ出演。NHK大河ドラマ『炎立つ』(1993~1994年)、『八丁堀の七人』(2003年)、『銭形平次』(2005年)などで主演をつとめた。2014年に岩手県の魅力をPRする「いわて☆はまらいん特使」に就任
■リストランテ ジェノヴァ
住所/神奈川県横浜市青葉区柿の木台13-42
営業時間/ランチ11:00~14:30、ディナー17:00~23:00
定休日/木曜
※新型コロナウイルス感染拡大の状況により、営業時間、定休日が記載と異なる場合があります。
写真・木村哲夫