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『私をスキーに連れてって』ロケの心労で10kg痩せた! ホイチョイ馬場監督がいま明かす秘話

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.02.19 06:00 最終更新日:2022.02.19 06:00

『私をスキーに連れてって』ロケの心労で10kg痩せた! ホイチョイ馬場監督がいま明かす秘話

三上博史を見つめる原田知世

 

「スキー映画を作ったら絶対に当たる!」

 

 1984年、クリエイター集団『ホイチョイ・プロダクション』代表の馬場康夫(67)は、そう確信していた。

 

「学生運動に励んでいた大学生たちは、角材やゲバ棒をテニスラケットに持ち替え、ディスコに通うようになっていました。貧乏だけど夢があるという時代は終わり、スキーやサーフィンに興じる学生が増えていったのです」

 

 

 なかでも、スキーを取り巻く環境は劇的に変化していた。関越自動車道、東北・上越新幹線が開通して、都心からスキー場への移動時間が大幅に短縮された。ホテルやカフェなども近代化が進み、板やブーツ、ウエアなどの性能も向上。スキー人口は右肩上がりで増えていた。馬場が松任谷由実の音楽で解説する。

 

「1978年発売のアルバム『流線形’80』には、『ロッヂで待つクリスマス』と『真冬のサーファー』という曲が入っています。お嬢様育ちのユーミンはすでに、スキーとサーフィンを歌の題材にしていたんです。

 

 よりポップにした1980年のアルバム『SURF&SNOW』には『サーフ天国、スキー天国』。そして、スキーヤーのメンタルを直撃したのが、『雪だより』という曲。僕はこの歌詞を『私をスキーに連れてって』(以下、『私スキ』)の企画書の冒頭に書きました。

 

 今でも鳥肌が立つくらい、いい歌詞だなって思いますよ。当時、スキーヤーのなかで赤いダウンが大流行していて。11月になれば、そろそろ神保町に新しい板を買いに行かなきゃって思わせる歌でね。つまり、スキー映画を11月に公開したら大ヒットするよ、という内容でした」

 

 渾身の企画書を手に、ユーミンの事務所を訪れた。映画制作が決まる1年以上前のことだ。馬場はスキー映画でユーミンの曲が使えるかどうかが重要だと考えていた。

 

 そのため、真っ先に事務所へ足を運んだのだが、応対に出たスタッフは、スーツにネクタイ姿でやって来て名刺を差し出す馬場を見て、「おいおい、サラリーマンが来ちゃったよ」と当惑気味だったという。

 

■スキー映画にユーミンは欠かせない

 

 馬場は成蹊大学を卒業後、日立製作所に入社。宣伝部に所属するサラリーマンだったが、「ビッグコミックスピリッツ」で「気まぐれコンセプト」(1981年~現在)を連載し、書籍『見栄講座』(1983年)は、65万部のベストセラーを記録するなど、活躍の場を広げていた。

 

 また、高校から大学にかけて仲間たちと作った8ミリ映画は4本あり、社会人になっても情熱を失うことはなく、5年がかりで16ミリ映画を1本撮っていた。馬場には、映画マニアのただの素人ではないという自負があった。

 

「スキー映画を作ろうと思っています。そこでぜひ、松任谷由実さんの曲を使わせてほしいんです。松任谷さんの曲以外、あり得ないんです」

 

 馬場は自分が手がけるスキー映画で、どれほどユーミンの曲が重要なのか、熱弁を振るった。事務所のスタッフは、苦笑しながら口を開いた。

 

「その話はいつどこで実現するの?」

 

「それはまだこれからなんですけど……。正式な企画書に『音楽は松任谷由実』と書きたいんです。このままではプレゼンもできません」

 

「そんなことを言われても何もできないよ。ただ、もし『スキーの映画でユーミンの曲を使いたい』という話がきたら一報いれてあげるよ」

 

 この言葉だけで、馬場は満足だった。

 

 1986年11月、映画『私スキ』の制作が正式に決まった。馬場は10年勤めた日立製作所を辞めることになる。

 

「潔く、ではないです。なんとか会社を辞めないで映画が作れないか模索したけど、会社にダメだと言われて、ロケに出発する前日に退職しました。この先、監督業で食べていけるとは考えてなかった。『気まぐれコンセプト』『見栄講座』があったので、文筆業だったらやっていけるかなと」

 

 脱サラしたばかりの新人監督には、厳しい現実が待っていた。

 

 ホイチョイのメンバーが考えた映画の最初のプロットは、娯楽の王道をいくシンプルなラブストーリーだった。主人公は26歳の商社マンで、ウイークデーはさえないサラリーマンだが、スキーの腕前はプロ級で、ゲレンデでは大スターという設定。

 

「主役の三上(博史)くんは台本を受け取ったとき、内容があまりにひどいと感じたらしく、台本を部屋の壁に投げつけたんだって。彼は寺山修司の秘蔵っ子だから本当に投げたと思いますよ(笑)」

 

 ヒロインの原田知世は、角川春樹事務所との契約が残っていたため、スキー映画にもかかわらず撮影に参加できたのは4月1日だった。雪はどんどんとけていく。

 

「勝手がわからないことはたくさんありました。役者に『今の芝居どうでしたか?』と聞かれて『ごめんなさい。スキーしか見てませんでした』と答えたら、めちゃくちゃ怒られたし、スタッフに絵コンテを見せて、こうしたいって言ったら『サラリーマン上がりが何を言ってるんだ』という顔をされて。心労が重なり、1カ月で10kg痩せて、髪の毛は真っ白になりました」

 

( 週刊FLASH 2022年3月1日号 )

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