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【坂本冬美のモゴモゴモゴ】『白いかおりの島へ』6度の小さな奇跡が島民たちとの絆を生んだ

エンタメ・アイドル 投稿日:2022.03.05 06:00FLASH編集部

【坂本冬美のモゴモゴモゴ】『白いかおりの島へ』6度の小さな奇跡が島民たちとの絆を生んだ

船から手を振り、涙の別れ

 

 忘れられない思い出と、忘れたくない思い出が合体した最強の思い出……それが、この『白いかおりの島へ』にまつわる思い出。縁と縁がより合わさって生まれた、小さな奇跡の物語です。

 

 始まりは『男の情話』を発表したデビュー3年め、1989年のことでした。瀬戸内海に浮かぶ忽那(くつな)七島のひとつ、 “みかんと太陽とトライアスロンの島” 中島町(現松山市)のお祭りに呼んでいただいたのが、そもそものきっかけです。

 

 

 覚えていらっしゃいますでしょうか。時代はふるさと創生事業の真っ只中で。中島町の皆さんが力を注いだのは、島全体を盛り上げるお祭りであり、島に住む人たちの心をひとつにするための歌……中島町の町おこし、『ばんざい祭』のイメージソングでした。

 

 作詞は石原裕次郎さんや春日八郎さんなどの曲の詞を書いていらした池田充男先生。作曲は『バラが咲いた』『人生いろいろ』など、数多くのヒット曲を手がけた浜口庫之助先生。

 

 その両先生が作られた『白いかおりの島へ』を、わたしが歌わせていただくことになったのです。これが、ひとつめの小さな奇跡です。

 

■島の皆さんの想い溢れる50通を超えるお手紙

 

 ただ……レコードとして販売はしない。作るのは、テープで数百本のみ。この曲を歌わせていただいたのも、レコーディングのときと、お祭りのとき、島の皆さんの前で歌った2度だけと、心の片隅に仕舞い込んでいた歌でした。

 

 ところが、です。松山市と島を結ぶ船の中で、町や学校の行事で、朝夕の時刻を知らせる無線放送の音楽として、町の皆さんは、ず~~~~っと、この歌を愛し続けてくださっていたのです。

 

 わたしが再びこの島を訪れたのは、市町村合併が決まった2004年12月のことです。

 

ーー町の名前がなくなる前にもう一度、来島していただけませんか。

 

 そんな想い溢れるお手紙をいただいたのがきっかけです。おじいちゃん、おばあちゃん、同年代の方々、学生さんに幼稚園に通う子供たちまで、50通を超えるお手紙です。

 

 最後の1通を読み終えたわたしの気持ちは、中島町に飛んでいました。これが、ふたつめの小さな奇跡です。

 

 松山から船で1時間。わたしを出迎えてくれたのは、ブラスバンドの音楽と、ぶんぶんと手を振りながら叫んでいる、「お帰りなさい!」の声、声、声……です。

 

 当時のわたしは歌手として復帰したものの、本当にこれでよかったのかなと、迷いの中にいました。そんなわたしを、こんなにたくさんの人が待っていてくれた……。そう思えた瞬間、もう、泣きそうになっていました。

 

 手作りのステージ。急ごしらえの照明。マイクもスピーカーも、町役場からお借りしたものです。でもーー。

 

 この日のステージは、わたしにとっては生涯忘れられない、忘れることのできない、最高の一日でした。

 

 これが、3つめの小さな奇跡。これだけでも胸がいっぱいですが、まだまだ中島町との小さな奇跡は続きました。

 

 4つめは2006年の『紅白歌合戦』で中継を繋いでいただいたことで、5つめはNHKで、『ふるさとの島 心ひとつに~歌手・坂本冬美と瀬戸内の人~』という特別番組を作っていただいたこと。6つめは町の方たちに、私にとって初めての歌碑を作っていただいたことです。

 

 初めて島に伺ってから33年……。今も確かな絆で結ばれている中島町は、わたしにとって大切な大切な、とっても大切な場所……第二の故郷です。

 

さかもとふゆみ
1967年3月30日生まれ 和歌山県出身  『祝い酒』『夜桜お七』『また君に恋してる』、そして『ブッダのように私は死んだ』など幅広いジャンルの代表曲を持つ。現在、ファン投票によって選曲された『坂本冬美35th Covers Best』と、メモリアルイヤーの締めくくりに『夜桜お七』初のアナログ盤が発売中!

 

写真・中村功
構成・工藤晋

 

( 週刊FLASH 2022年3月15日号 )

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