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勝俣州和「自分で決めたルールを守り切れ」…柳葉敏郎と哀川翔が背中で教えてくれた “人生の哲学”

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.03.06 11:00 最終更新日:2022.03.06 11:00

勝俣州和「自分で決めたルールを守り切れ」…柳葉敏郎と哀川翔が背中で教えてくれた “人生の哲学”

勝俣州和

 

「この店は美味しいうなぎを食べさせてくれるだけでなく、俺にとっては哲学を学ばせてくれた大切な場所なんですよ」

 

 勝俣州和が「うなぎ 色川」と出合ったのは約25年前。あるテレビ番組のロケ撮影で訪れたことがきっかけだった。

 

「嫁さんとつき合っていたころから来ていて、亡くなった大将には結婚式にも出席していただきました。毎年、三社祭では『色川』の半纏を着て神輿を担がせてもらうくらい縁の深いお店です」

 

 

 文久元年(1861年)創業の「色川」は都営浅草線浅草駅から徒歩2分。ふっくらと、かつ香ばしく焼かれたうなぎには、江戸の粋が詰まっている。

 

「昔、大将に『江戸っ子の粋ってなんですか?』って聞いたことがあるんですよ。

 

 簡単に言うと、仲間、近所、町の人、お客さんのような、まわりの人たちのために、惜しげもなく才能や心を尽くすことなんだそうです。

 

 大将は本当に粋でした。毎回料理を出すときは、一対一の真剣勝負。いつも本気の仕事で迎えてくれましたから。

 

 これって、俺たちの仕事にもすごく共通することなんですよ。お客さんが一人でもいたら、その一人を笑わせるために全力を尽くす。100人いても同じで、一対一の真剣勝負を100人とやって全員を笑わせる。心の遣い方が同じなんだという発見がありました」

 

 20代のころからバラエティ番組で活躍し、30年以上、芸能界の第一線で戦ってきた。だが、勝俣にとって、この世界に入ることは特別望んだ道ではなかったという。

 

「この仕事を始めて、家族は驚いていましたよ。『いちばん芸能界から遠い人間』と言われていましたから。なぜって、俺、家だと口数が少ないほうなんです。親父が(明石家)さんまさんみたいにおもしろい人で、毎日夕飯の時間は “踊る! オヤジ御殿!!” になっちゃう。家にさんまさんがいたら、そりゃ口数減りますよ(笑)」

 

 勝俣が夢見ていたのは、ドラマで見る「熱血教師」だった。

 

「小学6年生のときの担任が、杓子定規ではない考え方を話してくれるおもしろい先生で憧れました。それで教師を目指して進学したんです」

 

 だが、その思いが全否定される出来事が。大学4年生の春、勝俣は大学の職員室へ「僕は教師になれますか?」と相談に行った。

 

「そうしたら担当の先生が……『成績が上から3番までに入っていないから無理だ』『教師に大切なのは、不良やイジメられている子たちの話を聞く、コミュニケーション能力じゃないんですか?』『マニュアルどおりやればいいからそんなのはいらない』と。

 

 当時の世間一般の教師は、自分の憧れとは違ったんですよね。それで、翌日に大学をやめました。

 

 さて、何をしようかと考えたときに『劇男一世風靡』に入団しようと思ったんです。あのなかで揉まれたら、根性つくんじゃないかな、と。一世風靡をやめたら、地元の御殿場に帰って就職しようかなと考えていました」

 

 そして「劇男一世風靡」で2人の男に出会う。

 

柳葉敏郎さんと哀川翔さんは、当時もいまも変わらないからカッコいい。あの2人に共通したすごさって、自分で決めたルールを守り切るところなんです。嘘をつかない、言い訳をしない、弱音を吐かない、人のせいにしない。単純だけど、すごく難しい。20代のころのルールを、60代のいまも変わらずに守っているのがまたすごいんですよ。

 

 時代や流行に合わせて生きていく方法もあるけれど、ひとつの武器を研ぎ澄ます方法もあるんだと、先輩たちは背中で教えてくれました」

 

( 週刊FLASH 2022年3月15日号 )

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