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西島秀俊「めちゃくちゃ演技が下手だった」と恩師が告白…グラムロック少年がアカデミー賞俳優になるまで

エンタメ・アイドル 投稿日:2022.03.14 06:00FLASH編集部

西島秀俊「めちゃくちゃ演技が下手だった」と恩師が告白…グラムロック少年がアカデミー賞俳優になるまで

いきつけの居酒屋にて(2017年)。西島はこの店で飲んだ後、店の大将らと新宿ゴールデン街で朝方まで飲み直していた

 

 米国アカデミー賞で、日本映画として初めて作品賞にノミネートされた『ドライブ・マイ・カー』。主演を務める西島秀俊(50)は、いまや “日本映画界を背負って立つ男” として注目を集めている。芸能生活30年、彼の俳優人生の原点を追ったーー。

 

「ヒデとは、中学のときに席が隣だったんです」

 

 西島秀俊とは中学高校の友人で、俳優として活躍する津田英佑氏は、彼を「ヒデ」と呼ぶ。

 

 

「中学のときから頭がよく、ヒデの家でしょっちゅう勉強を教えてもらいました。でも、高校時代の口癖は『不健康になりて~』ですよ。

 

 いつも服装は全身黒ずくめで、当時はそれが大人っぽいと感じていたんです。友人とバンドを組んでギターを弾いていました。

 

『グラムロック』という、デビッド・ボウイやT−REXに代表される、濃いメイクと中性的なパフォーマンスが特徴的なジャンルの曲を演奏していましたね」(津田氏)

 

 横浜国立大学に進学し、一時はエンジニアを目指したという西島だったが、19歳のときに転機が訪れる。

 

「高校を卒業してから突然、ヒデから電話がかかってきて、『じつは、大手芸能プロからスカウトされたんだけど……どう思う?』って。

 

 僕もそのころ俳優の養成所に通っていたので、『せっかく大手プロから声がかかったんだ、俺だったらやるよ。うらやましいよ』と返しました。

 

 芸能界に興味はありつつも迷っていて、学生をやりながら演技の道にも挑戦したいと話していました」(同前)

 

 西島はのちに大学を中退。1992年に、連続ドラマ『はぐれ刑事純情派』(テレビ朝日系)に若手警官役としてレギュラー出演し、本格デビューした。

 

「西島くんがうちのワークショップに来たのは、まさにそのころでした。ドラマに出ると聞いて、警官役のシーンを稽古しましたから」

 

 そう語るのは、劇団「ウォーキング・スタッフ」の演出家・和田憲明氏だ。

 

「西島くんは『はぐれ刑事純情派』以前にも、すでに3時間ドラマにちょい役で出演していたのですが、見せてもらったらめちゃくちゃ演技が下手で(笑)。

 

 本人はすごく凝り性で、いつだったか、長い笛みたいな楽器にハマって、仲のいい友達とライブをしていました。

 

 自分の趣味でやっているだけだから客も少ない。でも、自分が気持ちよけりゃいいって感じで、客そっちのけで演奏していました」

 

 同年には、富田靖子と夫婦役を演じたドラマ『木曜日の食卓』(TBS系)にも出演。ドラマのプロデューサー・松本健氏は、彼のウブな新人時代を目撃していた。

 

「西島くんと富田さんのキスシーンがあったので、僕が『ヒューヒュー!』ってちゃかすと、西島くんは『プロデューサーとしてあるまじき行為だ!』と言って赤面していました。

 

 当時の彼は、何かあるたびに『マジかよ!』ってリアクションをしていたので、スタッフや演者のみんなでまねして『マジかよ!』って言ってからかっていました(笑)」

 

 西島は1997年、当時所属していた大手プロダクションから現在の所属事務所に移籍する。その背景にあったのは、「アイドル路線」で売りたいと考えていた所属事務所との方向性の違いだった。

 

 移籍の条件が、民放ドラマに5年間出演しないことだったとも、これまで週刊誌では報じられている。実際、彼はテレビドラマから5年間姿を消した。

 

 移籍当時のことを、前出・和田氏はよく覚えているという。

 

「イケメン俳優として人気が出てしまったことを、本人は『本当に嫌なんです』とこぼしていました。

 

 事務所を辞めてからは、小劇場や自主映画からのオファーを受けて俳優活動を続けていたんですが、その時期からだんだん会う機会が少なくなっていったんです。

 

 2年ぶりくらいに急遽、舞台の主演をお願いしたときには『やります』と即答してくれました。

 

 結局、その話は流れてしまったのですが、そのとき彼は黒沢清監督など巨匠の映画にも出はじめていたので、『舞台にはもう出ないんだろうな』と思っていましたから、感激しましたね」

 

 師弟関係を物語るいいエピソード……かと思いきや、和田氏は「続きがあるんです」と言って苦笑した。

 

「西島くんはやっぱり魅力的な俳優なので、少ししてまた別の舞台のオファーをしたんです。そうしたら『当分、舞台はやる気ないんです。映画に比べて影響力が物足りないんですよ』と。そんなにあっさり断わるかよ、と思って(笑)。

 

 でも考えてみると、映画で食っていくと一度自分で決めたのなら、そういうことも悪気なく言っちゃうやつだよな、と思い直しました。自分の信念に純粋で、一途な彼らしいエピソードだと思いますね」

 

 2002年には、北野武が監督を務めた映画『Dolls』の主演に抜擢され、西島は一躍注目の的に。

 

 2011年には、イランの名匠アミール・ナデリ監督の『CUT』に出演するなど活動を世界に広げ、「2014年ブレイク俳優ランキング」では、第2位に輝くなど、スターダムにのし上がった。

 

 このころ、西島と親しくなったのが、小説家でミュージシャンの中原昌也氏だ。無類の映画好きで知られる西島との秘話を語ってくれた。

 

「西ヤンとは15年ほど前に、毎月のように会っていた時期がありました。アテネ・フランセや日仏会館など、マイナーな上映館で遭遇することが頻繁にあって。

 

 同世代で気が合ったので、映画館で鉢合わせした後に、新宿の思い出横丁やゴールデン街の店でよく飲みました。

 

 西ヤンはもっぱら洋酒派。ただ酔っても、彼女のことだったり、プライベートのことは絶対明かさないんですよ。

 

 演劇論というよりは、バカ話ばかりしていましたね。忙しくなり始めたころだったけど、ゴールデン街で『眠眠打破』を飲みながら朝までつき合ってくれました」

 

 ある雑誌編集者も、西島の “シネフィル” ぶりに驚いたという。

 

「あるとき、日比谷シャンテでフランス名画の上映を1週間やっていたのでずっといたら、西島くんも通い詰めていた。とんでもない勉強家ですよ」

 

 3月11日、『ドライブ・マイ・カー』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞した西島。「アメリカ本国でもオスカーを」と期待が高まっている。映画評論家の前田有一氏は、西島の今後をこう予測した。

 

「アカデミー賞の結果次第で、彼の俳優人生がおおいに変わっていくのは間違いありません。

 

 今の西島さんは、ドラマに映画にひっぱりだこですが、もし『ドライブ・マイ・カー』が作品賞に選ばれれば、渡辺謙さんのようになるでしょう。

 

 出演作品を絞って、テレビで見るのもレアな俳優になっていくと思いますよ」

 

 グラムロックでトガった10代から、アイドル路線を蹴ってスターへと、頂点に駆け上がった西島秀俊。28日、日本映画史に新たな1ページを刻めるか。

 

( 週刊FLASH 2022年3月29日・4月5日合併号 )

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