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中村ゆり、頑張ったらお酒がご褒美「“頭でっかち” も解消したし、40代は楽しみ(笑)」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.03.20 11:00 最終更新日:2022.03.20 14:33
「ん~っ! 美味しい!!」
名物の「芝浦牛にこみ」を一口頬張ると中村ゆりの表情が一気に和らいだ。JR新橋駅からほど近い「美味ぇ津゛(うめぇづ)」は10席ほどのコの字型カウンターの人気店。店主の梅津昭典さんが創業以前から試行錯誤して完成させたタレを使った煮込みは、自慢の逸品だ。
「2年前に放送された『今夜はコの字で』(BSテレ東ほか)の撮影で使わせていただいたお店なんです。そのときに食べた煮込みがめちゃくちゃ美味しくて、すぐにプライベートで予約しました。部位からこだわっているのがすごく伝わってきて、何を食べても美味しい。いつも頼みすぎてしまうんですが、全部平らげちゃいます」
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まずは冷えた生ビールから。いい飲みっぷりだが、24歳ぐらいまでアルコールを飲むと蕁麻疹が出るほど体が受けつけなかったという。
「まわりの女友達に飲兵衛が多くて、スパルタ教育を受けて、いつの間にか飲めるようになっちゃいました。こちらではシャリキン(シャリシャリに凍らせたキンミヤ焼酎)を赤ホッピー(55ホッピー)で割って飲むことも多いです。夏は冷えていて最高ですよ」
■『ASAYAN』で華々しくデビュー
中村は『ASAYAN』(1995~2002年、テレビ東京)のオーディションに友人の伊澤真理と出場して合格。1998年に音楽デュオ「YURIMARI」としてデビューする。
「番組を観て、大阪オーディションがあるということで、ちょっと行ってみようという軽い気持ちでオーディションを受けたら合格してしまったので、デビュー後は戸惑いのほうが多かったです。
芸能界で自分が自信を持てるものは何もないのにCDデビューできたり、テレビに出たり……何か申し訳ないような気持ちになってしまったんです。10代のころはすごい人見知りで、いきなり入った大人の世界でうまく立ち回ることもできませんでした」
翌年、「YURIMARI」は解散。中村は芸能活動を休止して、都内のハンバーガーショップで人生初のアルバイトを始めた。
「当時18歳で、芸能界以外の世界を知らないのは怖いと思ったんです。でも、アルバイト先ではレジ打ちができなくて、年下で16歳の “先輩” に怒られたりしました。こんなに社会に適応できない役立たずなんだと痛感しました」
これから何をすればいいのか迷うなか、中村はふと観た舞台で衝撃を受けた。
「なんてカッコいいんだろう。こんなことをやっている人たちがいるんだと感動したんです。でも、女優になるっていう思考はなかった。自分なんかなれるわけないと思っていましたから」
だが、ある女性映画プロデューサーに誘われたオーディションに参加し、映画に2シーンだけ女優として出演した。
「試写を観たとき、今まで感じたことがないような感動と充実感があったんです。自分がこんなカッコいいものを作る人たちの一員になれたって。そこから夢中になりました」