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参院選に出馬表明の生稲晃子 本誌に語っていた5年の乳がん闘病…会見でも「経験活かしたい」と熱弁

エンタメ・アイドル 投稿日:2022.04.07 19:10FLASH編集部

参院選に出馬表明の生稲晃子 本誌に語っていた5年の乳がん闘病…会見でも「経験活かしたい」と熱弁

写真・JMPA

 

 アイドルグループ「おニャン子クラブ」の元メンバーでタレントの生稲晃子(53)が4月6日、参院選自民党から出馬することを表明した。

 

 今夏の参院選東京選挙区(改選数6)への出馬を決意した生稲は、都内で会見。「国会議員になって、病気と仕事、子育てを両立してきた自分の経験を政策や法律、予算に反映させられれば、世の中のお役に立てるのではないかと思い、出馬を決意した」と述べた。

 

 

「同選挙区は、自民党から現職の朝日健太郎氏、公明党から現職の竹谷とし子氏、立憲民主党から現職の蓮舫氏と元衆院議員の松尾明弘氏、そして共産党からは現職の山添拓氏など、そうそうたるメンツが出馬するため、“大混戦” が予想されています。

 

 生稲氏は、なんと言っても『おニャン子クラブ』の元メンバーで、知名度は抜群。2016年に政府の『働き方改革実現会議』の民間議員を務めた経験もあり、蓮舫氏らへの有力な “対抗馬” として、自民党が擁立したのです」(政治部記者)

 

「病気になっても、生きがい、やりがいを持って仕事を続けられる環境を整えることが、いま最も重要だ」「病気と仕事、子育てを両立してきた自分の経験を政策などに反映したい」と会見で訴えた生稲。“タレント候補” への批判は覚悟のうえで、「だからこそ頑張りたい。出るからには当選したい」と述べたーー。

 

「生稲さんといえば、2011年に乳がんであることが判明。再発が繰り返され、壮絶な闘病生活を送っていました。『病気になっても仕事ができる環境を』という彼女の訴えは、自身の経験も踏まえてのことでしょう」(同前)

 

 生稲は、本誌2018年11月6日号で、その闘病生活を告白している。

 

 2011年1月に受けた人間ドックの超音波検査で、再検査の通知……同年3月に病変部位に針を刺して細胞を吸引し、顕微鏡で細胞の性質を検査する「穿刺吸引細胞診」によって、悪性と告知された。

 

「8ミリと小さな腫瘍だったので、5月に乳房温存術(部分切除) を受けました。その後は、放射線治療とホルモン療法を始めました。放射線をあてた後は、肌が火傷のように赤くなって痛みがありますし、ホルモン療法も倦怠感などがつらかったです」

 

 治療をすれば治るものだと思っていたが、翌2012年の夏、右乳房にがんが再発。このときは9月に部分切除するだけですんだが、さらに翌2013年の11月、右乳房に再々発。そして翌月、右乳房全摘の手術を受けた。

 

「治療をしているのに2回も再発したのは、ショックでした。先生からは、次に再発したら危険ですと、右胸の全摘手術をすすめられました。娘もまだ7歳だったので、成人するまで死ぬわけにはいかないと、全摘を決めました」

 

 覚悟はできていたはずなのに、胸がなくなると思うと、いろいろな思いがこみ上げたという。

 

「45年間、ともに生きてきた体の一部なのに……と思ったら、右胸に申し訳なくって。手術の前日は右胸をずっとさわりながら、謝っていました」

 

 全摘と同時に、乳房再建のために皮膚を伸ばす「エキスパンダー」挿入術も受けた。放射線治療は皮膚が硬くなってしまったため、強張っているような強い痛みが3カ月以上続き、皮膚が伸びるのに2年ほどかかったという。

 

 2015年10月に再び右乳房再建手術を受けた。約5年間の闘病を支えたのは、夫の接し方だった。

 

「私ががんになった年に、主人の父が病気で亡くなりました。相当つらかったはずなのに、ふだんどおりに接してくれたのが、ありがたかった。いま思うと、変わらない日常を送れることが、いいことなんじゃないかなって。

 

 もうひとつは、私が必要なんだと思わせてくれたこと。家庭でも仕事でも、自分が必要とされているという気持ちを持てたことで、治療も頑張れたと思います」

 

 今度は、自民党が生稲を必要としているーー。

 

( SmartFLASH )

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