エンタメ・アイドルエンタメ・アイドル

藤子不二雄Aさん急逝…交流40年の大沢在昌氏語る「アビちゃんがたった一度、俺と小林薫さんに怒った夜」

エンタメ・アイドル 投稿日:2022.04.11 06:00FLASH編集部

藤子不二雄Aさん急逝…交流40年の大沢在昌氏語る「アビちゃんがたった一度、俺と小林薫さんに怒った夜」

「あの世は仲間がいっぱいいるから、楽しくやってると思うよ」と語る大沢氏(写真・岩松喜平)

 

「これ、だいぶ酔っぱらってる顔だな。2年くらい前? 写真を見ても、やっぱり悲痛な感じにはなれないんだよなあ。アビちゃんも、そういうの喜ばないだろうし」

 

 ここは、東京・六本木のバー「マコ・マン」。漫画家・藤子不二雄A(本名・安孫子素雄)さんが足しげく通った店だ。

 

 藤子・F・不二雄さん(1996年に死去)とコンビを組み、『オバケのQ太郎』『怪物くん』『忍者ハットリくん』などのヒット作を世に送り出してきた藤子不二雄Aさんが4月7日に亡くなった(享年88)。

 

 

 この日の午前中、庭先に倒れているAさんの姿を親族が発見。搬送先で死亡が確認された。

 

 訃報に驚きを隠せないのが、『新宿鮫』シリーズなどで知られる人気作家の大沢在昌氏(66)だ。Aさんとは22歳も年の離れた大沢氏だが、2人は「大親友」とも呼べる関係だった。

 

 急逝の当日、2人の行きつけだった「マコ・マン」で、大沢氏が献杯しつつAさんの思い出を語った。「語っていても、笑い話しか出ない」という、その素顔とはーー。

 

「安孫子さんとは40年くらいのつき合い。最初は、ゴルフだったか麻雀だったか覚えてないけど、俺の父親代わりみたいな作家の生島治郎さんと、俳優の芦田伸介さんに紹介されて。

 

 俺がまだ20代で、覚えているのは、ゴルフのスコアが初めてハーフで50を切ったとき、安孫子さんが一緒にまわってたんだ。『50を切るぞ、50を切るぞ』って呪文のように唱えてたら、安孫子さんから『うるさいね、君は』と言われてね。

 

 そのとき、たぶん安孫子さんは50歳前くらいだと思う。ふだんは安孫子さんと呼ぶんだけど、仲よくなってからは『アビちゃん』、最後には『ジジイ』なんて憎まれ口をきいてたけど。

 

『大沢ちゃんも若いころはかわいかったけど、売れてからは私のことをさげすんで』とか言いながらも、誘ってきて」

 

 幼いころ『怪物くん』を読んでいたという大沢氏。漫画界のレジェンドに、最初は緊張したが……。

 

「これが安孫子さんのすごいところなんだけど、漫画家として有名なのに、ちょっと話しているとその辺のおっさんみたいに思えてくるんだよね。絶対に威張らないし。その点では “人物” だった。

 

 ただもう、性格は『大きな子供』という感じでね。一人称は『ボクちゃん』、口癖は『お金がない』。子供だから、お金を持たせると、あるだけ使っちゃうんだ。

 

 一時期、ゴルフにハマって、お金があるだけゴルフ道具を買っちゃうということがあった。押入れを開けると、ゴルフボールがガラガラーッ、クラブがガチャガチャーッて落っこちてきたらしい。どれだけ買って、死蔵してるんだと。

 

 それで、奥さんとか、マネージャーをされてた亡くなったお姉さんから、一日2万円しかお金をもらえないようになった。

 

 お金は持ってないのに、きれいな女のコがいるクラブが大好き。だから、つねにおごってくれる人を探していた。俺が六本木のクラブなんか連れて行くと『きれいだなー、ボクちゃん、こんな竜宮城みたいなお店、初めて来たよ』とか言うんだよ。そうすると店のウエイターが『先生、昨日も同じ席で同じことおっしゃってましたよ』って(笑)」

 

「おごり、おごられ」どころか「おごり、おごり」の関係だったという2人。それでも大沢氏は、Aさんとのつき合いをやめなかった。

 

「あの人とつき合ったほとんどの人が、おごったことはあってもおごられたことはないんじゃないかな。クレジットカードも持っていなかったし。

 

 でも3年くらい前、クレジットカードを作って、見せびらかしてたことがあった。それで俺が『クレジットカード持ったの? じゃあ銀座に連れて行くから飲もうよ』って誘って。

 

 いざ会計の段になって、安孫子さんが『ボクちゃん、払うよ!』ってカードを出そうとしたら『あ! カード、ゴルフ場に忘れてきた!』だって。『ふざけんなよ、オヤジ!』って(笑)。どつきそうになったよ。『結局、俺が払うんじゃねえか!』って。

 

 そんなだけど、嫌われないというか憎めないというか。本当にピュアな人なんだよ。『ピュアだけど図々しい』、これがいちばんぴったりくる表現かな。

 

 ほら、子供ってピュアだから何事も『なんで?』って聞いてくるじゃない。大人には当たり前のことに『不思議だ』『なぜだ』と疑問を感じて、それを作品につなげていたんだと思う。だから、いくつになっても漫画家を続けられたんだ。

 

 それに、子供って図々しい生き物だから。ご飯を食べたら、お金は誰かが払ってくれると思ってるし(笑)。安孫子さんはそういう、大きな子供みたいな人だから、誰かを怒らせることもなければ、自分が怒ることもなかった」

 

 大沢氏はそんなAさんが、「たった一度、怒ったことがある」というエピソードを披露してくれた。それは、Aさんと大沢氏、そして俳優の小林薫(70)の3人が「マコ・マン」で飲んでいたときのことーー。

 

「俺と薫さんが『安孫子さん、カネないから店に連れて行っても払えないんだよなー』なんて、からかってたんだ。そうしたら『ボクちゃんだってお金あるよ! 持ってくるよ!』って。『どこに?』って聞いたら、『明日、お金下ろして持ってくるから、8時に六本木のスターバックスに来て!』って。

 

 でも薫さんも俺も、そんな約束、ぜんぜん覚えてなくて。

 

 翌日、ほかの店に飲みに行って、そこからまた『マコ・マン』に来たら、安孫子さんがいてさ。ブーブー怒ってるわけ。『ずっとスタバで待ってたんだよ!!』って。テレビに出たりして、顔も売れてる人なのに、1時間半くらい待ってたんだって。

 

『お金、本当に持ってきたの?』って聞いたら、『ほら、ここにある』って、懐ろから銀行の封筒を取り出して。10万円が入っていた。

 

 そうしたら、それを見た店のママが『これ預かっとくから』って、持ってっちゃったんだよ(笑)。もう20年以上も前の話かな」

 

 これまで、何度も大きな病気を経験しながらも、克服してきたAさん。最近も「トキワ荘」時代の書籍の製作に向けて、精力的に打ち合わせをこなしていた。

 

「心筋梗塞も大腸ガンもやったのに、ピンピンしてた。俺、言ったことがあるんだよ。『安孫子さん、あんた、もうゾンビみたいなもんだよ。だからもう死なないよ』って。お酒の量も変わらず、いつもウーロンハイをずっと飲んでた。

 

 訃報をどこで聞いたか? 今日、俺、携帯電話を持たずにゴルフやっていて。ロッカールームに戻ってきて、ネットのニュースを開いたら『えっ』ってなって。俺たち、仕事のつながりじゃないから。

 

 それにゴルフ仲間、麻雀仲間といわれた人も、ほとんどが鬼籍に入られているから、誰に連絡するでもないな、と。ただ、『いなくなっちゃったんだな』と。

 

 前日まで元気だったというから、安孫子さんらしい生き方だったと思う。『ボクちゃん、死んじゃったよ』とでも思ってるんじゃないかな。

 

 まあ、もう1、2回飲んで、『ジジイ!』って憎まれ口叩いておきたかったな。20代の若造だった俺をちゃんと相手してくれて、本当にそういう意味ではいい人だった。

 

 俺が直木賞を取ったとき、似顔絵を描いてくれたんだ。俺が『直木カップ』っていうのを持ってる絵。ぜんぜん似てないんだけど(笑)。でも色紙に『藤子不二雄A』って書いてあって、俺には宝物だよ」

 

( SmartFLASH )

続きを見る

エンタメ・アイドル一覧をもっと見る

エンタメ・アイドル 一覧を見る

今、あなたにおすすめの記事