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上島竜兵さん シャイなゆえ語らなかった「竜兵会」結成の“本当の理由”を土田晃之が明かしていた
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.05.15 19:00 最終更新日:2022.05.15 19:00
5月11日に亡くなったことが明らかになった上島竜兵さん。本誌は2013年、上島さんを後輩芸人たちが囲んで集う「竜兵会」にお邪魔させてもらったことがある。
この日、「竜兵会」の舞台として有名な東京・東高円寺の居酒屋「野武士」には、上島さんをはじめ、同じダチョウ倶楽部の肥後克広、土田晃之など総勢12名の芸人が集まった。
その日、インタビューを担当した20代若手記者は、ご厚意で上島さんの隣に座らせてもらったものの、慣れない緊張でしどろもどろに。目もあわせられない失態を、上島さんが笑いに変えフォローするばかりか、「誌面3ページも大丈夫? 写真でなんとかできる?」と気遣い「俺に人生相談してみなよ」とお題を振ってくれたのだった。
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当時「お金がほしいんですけど、どうすればいいですか?」と尋ねた記者に「まずは働かないと。ギャンブルとかはダメ。でも、カネ儲けるって難しいよな。俺もほしいもん。どうすればいいかな」と上島さん。
すぐさま「出た~、人の相談を自分の相談にして返すヤツ!」と、後輩芸人からのツッコミが飛んだ。聞けば、相談に相談で返すのは、上島さんの“お約束”パターンなのだという。記者も思わず笑ってしまった。
シャイなところもあった上島さん。竜兵会のルーツを尋ねると「ただの飲み会で……、後輩が快く集まって、慕ってくれて」と、口を濁した。
そのとき、同席していた土田が、2002年まで放送されていたテレビ番組『THE夜もヒッパレ』(日本テレビ系)にルーツがあることを語ってくれた。
「当時、『ヒッパレ』には笑福亭笑瓶さんやダチョウ倶楽部、デンジャラス、僕とかが出ていて、収録後に飲みに行くのがお決まりだったんです。それで、みんなと少し仲よくなったころ、ダチョウさんが『セイ!ヤング21』(文化放送)というラジオ番組を始めて。上島さんが、暇してたデンジャラスのノッチさんに『家にひとりでいてもへこむだけだから、現場に出てこい。局に来れば気分も違うから』って誘ったんです」
“ただの飲み会”と上島さんは語っていたが、じつは、後輩を思う気持ちから始まったものだった。
初期のころは、本当に毎日のように朝4時、5時まで飲んだくれていた、と教えてくれた竜兵会のメンバー。肥後は「仕事して、それから朝まで飲んで、シャワー浴びるためだけに家に帰って、また仕事して。『家賃もったいないから、この店の座敷を買って住んじゃおうか』っていう話もあったね」と語った。
そんなときに上島さんは、「有吉も毎日のように来てたよなぁ」と、「竜兵会」の主要メンバー・有吉弘行の名を出したのだった。
「リーダーがロケでブラジルに行ってたときは、有吉を毎晩、誘ってさ。10日連続で有吉と『野武士』で飲んだ。さすがに10日めは話すことなかったんで、『やっぱり、帰るか』って、15分で帰ったけど」
取材当日も大いに盛り上がった竜兵会だが、宴もたけなわで、土田が「タダ飯も食ったし、もう用がないから帰るよ」と席を立った。すると若手芸人が「じゃ、僕たちもそろそろ帰ります」と全員、席を立ち始めた。上島さんがあわてて「ちょっと待ってよ、まだこれからじゃない。ちょっと~」と叫ぶ姿に、現場は爆笑した――。
《皆にツッコまれる、それが上島の芸風です。》
5月14日、ダチョウ倶楽部のInstagramで、肥後はそうコメントを寄せた。そして、《ダチョウ倶楽部は解散しません。》とも続けた。
上島さんの遺志は、「竜兵会」メンバーの心の中で生き続ける……。
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