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ナイツ・塙宣之 「ヤホー漫才」を作り上げた原点を振り返る「お笑いは弱点を克服する最強の武器」

エンタメ・アイドル 投稿日:2022.06.12 11:00FLASH編集部

ナイツ・塙宣之 「ヤホー漫才」を作り上げた原点を振り返る「お笑いは弱点を克服する最強の武器」

塙宣之(ナイツ)

 

「5年ぐらい前に知り合いに『美味しいお店があるよ』と連れてきてもらってから、ちょくちょく来ています。

 

 お刺身とか、お魚料理が新鮮で美味しいんです。今日のぶりのかま焼きもうまい!」

 

 美味しそうに箸を運ぶと、塙宣之は満足そうに一息つく。

 

 

「よってけ酒場」は塙が「ホームグラウンドみたいな店」と話すだけあって、自宅からも近い馴染みの店だ。

 

「ふだん、車で移動することが多いので、都内でめしを食ってもお酒が飲めないんですよ。飲み友達もこのあたりに多いし、飲むとすぐに眠くなってしまうので、家の近くのほうが安心して飲めます(笑)」

 

 次に箸を伸ばしたのはレンコンのステーキ。

 

「レンコンやきゅうりみたいにシャキシャキした食感がいいものが大好物なんです。食べてるって感じがするのにおなかにたまらないとこも好き。逆にグミや餅みたいにグニュグニュして食べた感じがしないのに、おなかがいっぱいになるものが苦手なんです」

 

 ラジオ番組『ザ・ラジオショー』(ニッポン放送)の生放送を終え、車で「よってけ酒場」へ移動してきた塙は、「めしの相方」と呼ぶレモンサワーではなく、ノンアルコールビールをチビリと飲んでから話し始めた。

 

■生みの親はドリフ 育ての親はダウンタウン

 

 塙が「芸の相方」の土屋伸之(43)と2001年に結成した「ナイツ」は幅広い層のファンを持つ漫才コンビだ。その彼がお笑い芸人になりたいと思ったのは、幼稚園時代のある悲劇がきっかけだった。

 

「お笑いを目指したきっかけは、ちょっと汚い話になるんですけど……あの……幼稚園のときにうんこを漏らしちゃったんですよね。それで、いじめとまでは言わないけど、けっこうからかわれるようになって。それがすごい嫌だったんですよ」

 

 小学校に上がってからも、この件を知る同級生にからかわれ続けた。

 

「なんとかこのことを乗り越えられる方法はないかとずっと考えていました。

 

 そのころ、ドリフ(ザ・ドリフターズ)に夢中になっていて、志村けんさんや加藤茶さんが大好きだった。ドリフはうんこをネタにしていて、僕もそれを見て笑っている。だったら自分のこともネタにしちゃえばいいんじゃないかと、子供ながらに思ったんです。それで『うんこの歌』を自分で作詞作曲して、からかわれたときに歌ったら、クラスですっごいウケたんですよね。それから一気にそのことでからかわれることはなくなって、逆におもしろいやつだ、みたいな話になったんですよ。

 

 このときに思ったんです。やっぱりお笑いっていうのは、自分の弱点を克服する最強の武器になるなと」

 

 こうして「うんこ事件」を笑いに変えて乗り越えてからは、お笑い芸人が出演するテレビ番組を夢中で観るようになった。「なんておもしろいんだろう」と感じたのがダウンタウンだった。

 

「こんなふうになりたいなと、本気で思うようになりました。僕にとっては生みの親がドリフで、育ての親がダウンタウンみたいな感じです。だから松本(人志)さんといると、自分の親と会っているような、不思議な感覚になります」

 

 高校卒業後、すぐにお笑い芸人になりたかった。だが、兄(はなわ)が芸人になっていたこともあり、親は猛反対。結局、大学に進学することになったが思いは大きくなるばかりだった。塙は大学の落研に入部。そこで1年後輩の土屋と出会う。

 

「彼は公認会計士を目指していて、客として観に来ていたんです。3年生のときに急に『お笑いをやりたい』と言ってきたので、大丈夫? できるの? って思いました。

 

 ところが、やってみたら意外に器用で、いろいろそつなくこなすから、僕から誘ってコンビを組みました」

 

 デビュー後は、なかなか芽が出ず、苦戦した。2人とも夜勤のアルバイトをしていたこともあり、ネタ作りも時間がなく、うまくいかなかった。

 

「ネタ作りに時間をかけることができず、『M-1』でウケている芸人さんのネタをまねしてみたり、いろいろなパターンの漫才をやってしまっていたんですね。

 

 そんなことを繰り返しているうちに『じゃあ自分たちの色ってなんなの?』『それがないと売れないんじゃないの?』とやっと気づいたんです。それで6年分ぐらいのライブを観返してみたら、自分たちにはテンション高いネタが向いてないとわかってきて。じゃあ……とライブでテンションの低い小ネタを4分ぐらいやったら、初めて手応えを感じたんです」

 

 2人は厳しかった当時のマネージャーにこれでネタ見せをした。だが、「小ボケの羅列だからボツ」と反応は芳しくなかった。それでも諦めきれなかった2人は、ライブで「小ボケ」ネタを披露した。

 

「めちゃくちゃウケました。今までのウケとは全然違って、ネタをやっていて気持ちがよかった。すごいうねりが起きたような感じがしました」

 

 これがナイツの代名詞となった「ヤホー漫才」だ。2007年のことだった。この年、塙は漫才協会の理事(2021年から副会長)にも就任する。

 

「漫才協会に入るとテレビに出られないなんて言われていたので、正直入りたくなかった。でも、途中で気づいたんです。漫才協会に入っていたから、最短でテレビに出られたんだって。昔からアンケートなどでじじくさいって言われてましたし、浅草の星みたいに言われるコンビはいなかったのでね。逆に寄席のイメージをつけたほうが『M-1』に出場できるんじゃないかと思ったんです」

 

 塙の思惑どおりに事は進み、2008年から3年連続で『M-1』の決勝へ。優勝には一歩届かなかったが、決勝進出で知名度が上がったことで思わぬ道が開けてきた。

 

 2012年、NHK佐賀の単発ドラマ『あのひとあの日』に出演。このころから今度は役者として声がかかるようになった。ついには、ドラマ『警視庁・捜査一課長』シリーズのレギュラー出演者に抜擢される。

 

「初めはちょっとやってみて、ネタになればという感じでした。(『警視庁・捜査一課長』の初出演から)4年たって、台本の回想シーンの『︱』の読み方などがやっとわかるようになりました(笑)。

 

 本田(博太郎)さんから、演技がよかったときには電話がかかってくるんですよ。今シリーズの第4話は初めて僕のメイン回だったのですが、『よかったよ。やっと着地できたね』とお褒めの言葉をいただきました。

 

 俳優業は漫才のネタ作りにプラスになっています。漫才しかやっていないと、だんだん先細ってしまって、ネタが作れなくなってくるんです。ネタの幅が広がるし、メリットは多いと思います」

 

 笑いを武器に自身が抱える弱点を克服してきた塙。俳優業を糧に次はどんなネタを見せてくれるのか楽しみだ。

 

はなわのぶゆき
1978年3月27日生まれ 千葉県出身 2001年、土屋伸之と「ナイツ」を結成。2007年「ヤホー漫才」で大ブレイク。2008年から3年連続で『M-1グランプリ』の決勝に進む。2007年から漫才協会の理事、2018年より『M-1グランプリ』審査員を務める。ドラマ『警視庁・捜査一課長』(テレビ朝日系)にレギュラ−出演。ラジオ『ザ・ラジオショー』(ニッポン放送)では月曜~木曜のパーソナリティ担当するなど各方面で活躍中

 

【よってけ酒場】
住所/東京都練馬区上石神井1-13-4
営業日/17:00~23:00(L.O.22:30)
定休日/火曜日、隔週水曜日

 

写真・野澤亘伸

 

( 週刊FLASH 2022年6月21日号 )

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