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最後まで現役を貫いたシンガー・葛城ユキさんが本誌に語っていた『ボヘミアン』秘話
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.06.28 17:21 最終更新日:2022.06.28 17:23
6月27日、歌手の葛城ユキさんが腹膜がんのため、都内の病院で亡くなった。享年73。
2021年4月にステージ4の原発性腹膜がんを患っていることが判明し、二度の手術をおこなった葛城さん。2022年5月には、およそ1年ぶりに車椅子姿でステージに復帰したが、その後、再び体調が悪化していた。亡くなる5時間前には、救急車を呼んだことを関係者に電話で報告し、「今までありがとうございました」と感謝の言葉を語っていたという。
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葛城さんは1974年にデビューし、ボニー・タイラーの『哀しみのオーシャン』や、故・井上大輔さんと飛鳥涼(現・ASKA)が大友裕子に提供した『ボヘミアン』のカバーがヒットしたことで知られる。晩年は夢グループ主催の「夢 スター歌謡祭 春組対秋組歌合戦」などに出演、全国各地でライブをおこなっていた。
本誌は2017年、当時67歳の葛城さんに、ヒット曲『ボヘミアン』について話を聞いていた。
「私、ハスキーボイスと呼ばれるのはいいけど、風邪をひいたときの声と言われるのはイヤ(笑)。Twitterを見てると、『今日は声が出ないから葛城ユキだ』『カラオケでボヘミアンを歌ってみるか』とか、よく呟かれてます。
そもそも私は、自分の声をハスキーだとは思ってないんです。楽曲のイメージや、歌詞とメロディによって表現の仕方を変えていて。その歌い方のひとつなんですけどね」
『ボヘミアン』は、「葛城ユキ」名義で7枚めのシングル。彼女の代表曲となった。
「初めて聴いたのは、大輔さんがギターを弾いて歌ったラフなデモテープ。『ユキをイメージして書いた曲だよ』と言われていたので、カバー曲だとは知らなかったんです。
キャッチーで大衆性があって、シングルヒットに必要な要素がたくさん詰まっていたので、大ヒットする予感はありました。シングルカットするときも、満場一致でこの曲が選ばれました。
ポップなこの曲がヒットして、それまでのロック好きのファンが離れていったこともあったけど、老若男女に浸透する曲が生まれて、嬉しかったですね。
今では、私の名前より『ボヘミアン』のほうが先行しているような気がします。ほかにもいい曲をたくさん歌っているので、ぜひ、ライブに足を運んでみてください」
「和製ボニー・タイラー」とも称された声で、多くのファンを魅了し続けた葛城さんは、まさしくロック界の女王だった。
( SmartFLASH )