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小籔千豊、妻に50円の大根を買わせた不甲斐なさに半泣き…週の小遣い1000円の貧乏時代とは
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.08.15 11:00 最終更新日:2022.08.18 15:54
8月8日、女優・広瀬アリスさんが、自身のTwitterに小籔千豊さん、3時のヒロイン・かなでさんとの3ショット写真を投稿していました。
画像に添えられたコメントには「小籔さんが選ぶ奥さんの好きなところ第18位『赤ちゃんの匂いがする』 いやぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁあ きゃわぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁああ(原文のまま)」とあり、小籔さんが好きな奥さんのポイントに大興奮していました。
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小籔さんが奥さんと結婚したのは、以前組んでいたコンビを解散した直後の2001年。そのころは、芸人引退も考えるほど低迷した時期でした。
その当時の思いを、以前、筆者が小籔さんを取材した際に、お聞きしました。
「(結婚前の奥さんに)『コンビ解散するから結婚するし、芸人やめて普通に働くわ』言うたら、『えー! ホンマにええの? 40ぐらいになったとき、芸人をやっとけばよかったって言うんちゃう?』とか言われて。でも『こんな金にならん仕事、無理や』って言うたんです」
結局、小籔さんは周りの芸人仲間の助言もあって芸人を続けることになり、よしもと新喜劇に入団しました。新喜劇に入団した当初の小籔さんは、カツカツの生活を送っていたと言います。
「ホントにお金がなくて、1週間で小遣いを1000円にして。劇場にも自転車で通い、ジュースも飲まずに舞台の袖においてるお茶を飲んでて。そうやって頑張って、週末に300円ぐらい残ってたら『よっしゃ!』って。何が『よっしゃ』やねんと(笑)。
後輩とご飯に行ったらおごらなあかんから、基本的には遊ばず、3つぐらい前の古いソフトの『ウイニングイレブン』や『実況パワフルプロ野球』をやる生活(笑)」
奥さんはそんな苦労時代を支えてくれましたが、小籔さんは複雑な思いでした。
「結婚してからバイトも始めたんですよ。バイト終わりで家に帰ってきて寝て。俺が朝起きたら嫁は仕事に行ってて。おしゃれな茶色の紙の置手紙に『これはチンして食べてね』って書いてて……。ごはんを用意してくれてるんですよ。『俺は稼ぎもないのに、こいつ、なに作ってんねん』みたいな気持ちで。
嫁が買い物に行って遅く帰ってきたら『ごめんな、遅くなって』とか言うんですけど、なにが『ごめんな』やと。仕事行っても、俺の新喜劇のセリフは一言しかない。『俺は全然稼いでへんのに、稼いでる方がなんで買い物行ってんねん』みたいな」
そんなお金のない生活も奥さんは楽しんでいました。
「嫁(の実家)は別に貧乏な家でないし、『金ないわ!』とか言わないし、なんならやっと俺が遊ばなくて定時に帰ってくる生活だったんで、喜んでるんですよ。ある日、嫁が『見てこの大根。50円やってん。めっちゃでかくない?』って『笑けるよね?』という感じで無邪気に言うんですよ。でも俺は、『嫁に50円の大根を買わせてるんか』とう気持ちやから「ああぁ、へー」とは言うたんですけど、半泣きでした。
そのときに、じゃこおろしが出てきたんですけど、50円の大根が苦くて全然うまくなくて。まぁ僕に特別な感情があったからそう感じたんでしょうけど(笑)。俺は『男が食わせるもんや』と思てるから、そのときの嫁の笑顔と、でっかい大根と、台所の風景はいまだに忘れないですね」
奥さんはなんの不満も言わないものの、小籔さんにとっては、本当に辛かった時代だったのです。
「いつものバイトが終わって、家に帰ったら嫁が寝てたんですけど、なんの夢を見てるか知らんけど、寝顔でめっちゃ笑ってたんですよ。『大地獄で大不幸やのに、なにを笑ってんねん』と。『こんな金がないときに、俺はなんで結婚したんやろう』と思いましたね。
ほんで、また朝起きてご飯食べて自転車でバイトに向かってるときに、街中から中島みゆきの『時代』が流れてきたんです。『あんな時代もあったよね、いつか笑える日が来るわ』って言われた瞬間、『中島みゆき、ホンマか?』って。そのとき涙が落ちて、『俺泣いてる?』と思って(笑)」
その後の小籔さんは、新喜劇の座長に就任し、みなさんもご承知の大活躍。中島みゆきさんが言ってたことは、ホンマでしたね。
インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。
( SmartFLASH )