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森英恵さん死去、孫の森泉が本誌で語っていた「一子相伝のダイヤのネックレス」

エンタメ・アイドル 投稿日:2022.08.18 22:10FLASH編集部

森英恵さん死去、孫の森泉が本誌で語っていた「一子相伝のダイヤのネックレス」

2004年のパリコレに参加した森英恵さんと森泉(写真:AP/アフロ)

 

 世界的なファッションデザイナーである森英恵さんが、8月11日に老衰のため都内の自宅で亡くなっていたことがわかった。96歳だった。

 

 1950年代には、石原裕次郎が出演した『太陽の季節』『狂った果実』、小津安二郎監督の『彼岸花』『秋刀魚の味』など総数400本にものぼる映画の衣装を手がけた。

 

 その後、自身のブランドで「ニューヨーク・コレクション」や「パリ・コレクション」に参加。蝶をモチーフにしたデザインは、国際的にも高い評価を得て、1977年、アジア人として初めて「フランス・オートクチュール協会」の会員になった。

 

 

 日本人に広く知られている服のデザインも数多く手がけている。日本航空の客室乗務員の制服を1967年から1987年まで担当し、1970年の大阪万博では政府館のコンパニオンのユニフォームを、1992年のバルセロナオリンピックでは日本選手団のユニフォームをデザイン。1993年には、皇后雅子さまの結婚の儀での礼装も手がけた。

 

 こうした数々の功績が認められ、1996年、文化勲章を受賞している。

 

 森英恵さんの孫で、自身もモデルとしてパリコレなどに参加している森泉は、インスタグラムに森英恵さんとの写真を投稿し、《たくさんの楽しい思い出と貴重な体験をありがとう》と追悼した。

 

 森泉は、2020年、共同通信のインタビューに応じ、森英恵さんとの思い出をこう語っている。

 

《おばあちゃんはデザイナーの森英恵ですが、私が小学生の時からファッションショーに連れていってくれました。自分がモデルになるなんて思いませんでしたが。一緒に住んでいて、働く姿を見るのは面白かったです。おばあちゃんはすごく色にこだわっていました》

 

 2007年には、本誌のインタビューにも森英恵さんとのエピソードを語っている。セレブ一家に生まれつつ、人生経験のためアルバイトに挑戦した森泉。そのバイト代で母と森英恵さんにプレゼントを贈ったという。

 

「お母さんにはハワイ旅行を、お祖母ちゃんにはロシアンブルー(ネコ)をプレゼントしました。逆にお母さんからはダイヤのネックレスをもらって。お母さんもお祖母ちゃんからもらったものだったそうです。宝物ですね。私も自分の子供に贈りたい」

 

 森泉は2018年に結婚し、第一子を出産している。偉大な先駆者がファッション界に残した輝きは、ネックレスとともに受け継がれていくことだろう。

 

( SmartFLASH )

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