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『うちの子にかぎって2』で伝説に…夭逝したトップアイドル・高橋良明 母が明かす秘蔵写真と青春の日々

エンタメ・アイドル 投稿日:2022.10.09 11:00FLASH編集部

『うちの子にかぎって2』で伝説に…夭逝したトップアイドル・高橋良明 母が明かす秘蔵写真と青春の日々

『春日局』撮影で

 

 1989年1月。将来有望な人気俳優が、この世を去った。高橋良明(享年16)。大河ドラマにも出演、主演ドラマも大ヒット、歌手としても80万枚以上の売上を叩き出す。まさに男性トップアイドルだった彼が、突然のバイク事故で命を落とすとは誰も思わなかった。

 

 「原付免許で中型バイクを運転していたこと、横断者をハネた(被害者は全治2ヶ月の骨折)ことなどで、当時は大騒ぎになりました。事故を起こしたのは1月5日に。頭部外傷で意識不明の重症でしたが、4日後には会話ができるまでに回復。しかし、22日に容体が急変し、翌23日に亡くなったのです。死因は頭部打撲による小脳くも膜下出血及び中脳出血。葬儀には5000人ともいわれるファンが集まりました」(週刊誌記者)

 

 彼の眠る墓の前には、今でもファンからの献花が絶えない。

 

 彼が生きていれば、9月2日で50歳になるはずだった。真っ青に晴れた9月4日の日曜日。没後34年を迎える高橋良明の菩提寺、新横浜の観音寺で、母である髙橋凉子さんにお話を伺うことができた。

 

「芸能界にはね、自分で行くって言い出したんですよ。私は本音は反対だったけど…子供がやりたいっていうことだからね。一応やってみて、それから続けるか決めようよって話したんですけど。それで東京宝映に行ったんだけど、行きたい人は全部受かるところなのよ(笑)。でも、事務所に入ったらトントン拍子にオーディションが入ってきて…、あっという間に仕事が増えてね」

 

 1985年、12歳でポーラテレビ小説「夢かける女」(TBS)に出演、松原千明の子供役で注目され「そこからは、オーディションは90%は通ってましたね」と凉子さん。そして、一気に人気を伸ばすきっかけとなる『うちの子にかぎって2』(TBS)への出演につながっていく。

 

「あのオーディション、最初は落ちたんですよね。配役を見直すってことで再度選考があって、そこで受かったのかな。あれで一気に顔が売れちて、原宿を一緒に歩いてると黒山の人だかりになっちゃうくらい。ファンの子達から逃げ回って、ジーパン屋の地下に隠れさせてもらったわね(笑)」

( SmartFLASH )

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