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『笑点』史上初の女性大喜利回答者として大注目!ーー落語家・蝶花楼桃花「“女”なことはプラマイゼロ!」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.10.30 06:00 最終更新日:2022.10.30 06:00
今年の3月に真打昇進後、7月には過去最速で主任(トリ)を務めた落語界のホープ。ルックスと実力を兼ね備える彼女はどうやって現在の地位まで上り詰めたのか。
うまい、かわいい、華があると三拍子そろった “寄席のプリンセス” は2022年3月、真打に昇進。蝶花楼桃花(ちょうかろうももか)という美しい高座名で活動していくことになった。前座名は春風亭ぽっぽ、二ツ目時代は春風亭ぴっかり☆。
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「師匠の春風亭小朝から、『破裂音は耳に残る』と教えられていたのでまたパ行の名前かとも思っていたんですが、さらに素敵な名前をいただきました。真打はお披露目もあるので、師匠に一門全員が呼ばれたんです。高座名が何になるかは1ミリも知らずに行ったら『では、ぴっかり☆の新しい名前を発表します』って。師匠が『デレレレレレ』って口でドラムロールしながら一文字ずつ出していくという(笑)。蝶、花……蝶花楼だー! って頭の中で思いました。まさかの! って感じでしたね」
七代目馬楽が2019年に亡くなってから誰も名乗っていなかった蝶花楼は、落語界の亭号のひとつ。小朝師匠の大師匠(師匠の師匠)である林家彦六が五代目蝶花楼馬楽を名乗った時期があり、一門には縁のある名前なのだ。
「蝶花楼とはなんて素敵なところを見つけてくれたんだろうと思いました。すごく嬉しかったですね。大きな名跡であるうえに女性が継いだことがないですし、字面がきれいじゃないですか。さすが師匠って思いましたね」
■宝塚に憧れる少女が突然落語の世界に
いまや注目の噺家として大活躍の桃花師匠だが、もともとは舞台女優に憧れていた。
「幼稚園に移動ミュージカルが来まして、それを観て舞台に立ちたいと言いだしたのが最初。小学生で宝塚歌劇団にハマって……涼風真世さんが好きで、ファンクラブにも入ってました。宝塚に入りたかったんですけど、私、すごいちびっ子なのでとても無理だと挫折して。それで尚美ミュージックカレッジ専門学校を出て、演劇倶楽部『座』に研究生として入ったんです」
「座」は日本語を美しく語ること、日本の伝統的身体表現(落語・歌舞伎・狂言・日本舞踊)に力を入れている育成所。そこで、桃花師匠は天啓を受けることになる。
「ある日、鈴々舎馬桜師匠が講義に来て『いろんな伝統芸能を観たほうがいいよ』って。それで寄席に行き始めたんです。たくさんの伝統芸能を観たんですけど、落語がいちばん自由だなって思いました」
寄席に通ってさまざまな師匠の噺を聴き、多くの本を読んだ。そして、春風亭小朝師匠へ入門をめざすことになる。
「小朝の弟子になりたいと思ったのは、師匠の落語が大好きっていうのはもちろんですが、なんでも受け入れてくれる柔軟な考えができる方だと感じていたので。自分が女として落語をやっていくことを考えたとき、師匠みたいな噺家になりたいと思ったんですよね」
最初は落とされるつもりで小朝師匠のところへ行ったという。
「何回か断わられて、『親連れてこい』とかね……そういう弟子入りの儀式みたいなものがあるのだろうなと思っていました。とにかく一回断わられに行こうと、いろいろ調べて府中の独演会の昼夜の間に乗り込んでいったんです。いきなり楽屋へ行って『弟子入りしたいんです』って言ったら『弟子入りっ!?』『師匠、弟子入りで女のコが来てますー!』みたいな。
それでも一所懸命に気持ちを伝えたら、マネージャーさんに『このコ、採るよー』って師匠が言ったんです。えっ、採ってもらえるの? と思っていたら『明日から来なさい』と言われ、翌日に横浜の独演会に行きました。そこで『君、ぽっぽって名前になったから』『ありがとうございます!』となったんです。そのときからいきなりバーンと落語家人生が始まっちゃいました」