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林家たい平のもとに届いた円楽さんからのメッセージ「少しは楽をしなさいよ」【2022年に逝った英雄】
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.12.17 06:00 最終更新日:2022.12.17 06:00
一国を率いた大人物、単調な毎日に笑いを提供してくれた才人、違う世界を見せてくれた名優、夢を与えてくれたスポーツ選手。今年も、私たちを置いて先に逝ってしまった人ーー。彼らをよく知る人物からの“挽歌”を取材。
■落語家 三遊亭円楽さん(9月30日没 享年72)
◎スマホには円楽師匠のメッセージが今も(落語家 林家たい平さん)
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突然すぎて実感がありません。次の『笑点』の収録にも楽屋に来てくださるんじゃないかという気持ちです。
師匠のこん平が倒れ、私は代役として『笑点』に出演させていただきました。円楽師匠は「早く笑点ファミリーにしてあげたい」というお気持ちもあったのでしょう、落語会のあとには「飲みに行こうか」と誘ってくださり、多くのことを教えてくださいました。「落語家以外の方とつながりを深めたほうがいいよ」とゴルフを教えてくださったのも師匠です。ラウンド中には師匠が手がけている落語のことを話してくださり、勉強になりました。
スマホには師匠のメッセージがたくさん残っています。「たいちゃんは気を使いすぎるから少しは楽をしなさいよ」とか。師匠本人がいちばん、気を使う方なのに。
■作家 西村賢太さん(2月5日没 享年54)
◎一度だけ文壇バーで大喧嘩。結末は(芸人 玉袋筋太郎さん)
2013年にテレビ番組『ボクらの時代』で共演して飲みに行く仲に。同い年で東京出身、波長が合ったのか、月に一度は飲んでました。たいてい、誰かの悪口で盛り上がってました(笑)。飲むときはお互いの吸う銘柄の煙草をワンカートン持参するのが恒例。
一度だけ文壇バー「風花」でつかみ合いの喧嘩をしましたが、3日後に俺からメールして仲直り。俺はカステラ、賢太先生はバームクーヘン、互いにお詫びのお菓子を買ってきて、似合わなすぎて笑った。40代で出来た、久遠の友でした。訃報を聞いたときは「馬鹿野郎、早すぎるよ!」としか思えなかった。
先日も遺作の『雨滴は続く』を読み返し「北町貫多の物語の続きはもう読めないんだ」って実感しました。
■漫画家 藤子不二雄Aさん(4月7日没 享年88)
◎今でも守っている先生からの教え(漫画家 えびはら武司さん)
安孫子先生(藤子不二雄Aさん)との出会いは約50年前。1973年に高校を卒業した僕は藤子スタジオに入りました。時間に正確でいつもスタジオにいる藤本先生(藤子・F・不二雄さん)に比べ、安孫子先生はゴルフや麻雀で外出が多く、いつのまにかスタジオにいる印象。それでも漫画は仕上げている。「いつ寝ているんですか」と聞いたら「寝てないよ」と言われたこともあります(笑)。
2年間のアシスタント時代、漫画の指導を先生にされたことは一度もないんです。ただデビューしたとき「依頼された仕事は絶対に断わるな」と言われ、今でも守っています。
数年前から先生は毎年恒例の忘年会をやめました。今振り返ると終活に入っていたのかもしれません。