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神田沙也加さん 死去から1年でベストアルバム発売 母・聖子から受け継いだ“歌姫のスター性”放ち続け
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.12.18 06:00 最終更新日:2022.12.18 06:00
2021年12月18日、35歳の若さで神田沙也加さんが亡くなってから、1年が経った。
1周忌を4日後に控えた12月14日には、沙也加さんの2枚のベストアルバムが発売された。
“もし神田沙也加がボカロキャラになったら”をテーマに、1作めから3作めまでセルフプロデュースしてきた、ボカロカバーシリーズの最終作『MUSICALOID #38 Curtain Call!』と、もうひとつは、オリジナル楽曲やミュージカルのカバー曲で構成されたベスト盤『LIBERTY ~memorial~』だ。
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本人のInstagramでも発売の告知がなされ、沙也加さんの歌声を待ちわびていたファンからは、歓喜のコメントが寄せられた。
“歌姫”としての存在感を放ち続ける沙也加さん。歌手として活動を続けていた沙也加さんに影響を与えていたのは、やはり母の松田聖子だろう。
聖子は、沙也加さんが亡くなった18日当日も、沙也加さんの訃報を知ることなくディナーショーをやり切った。1997年に離婚するまで、ともに過ごした2人。沙也加さんの出生当時を知る、芸能記者が振り返る。
「国民的スター・松田聖子の娘として、沙也加さんは生まれた当初から、国民の注目の的でした。お宮参りには、生後30日の彼女の顔見たさに、ファン3000人、報道関係者約100人が押しかけるほどでした」
このときすでに、沙也加さんの芸能界入りは期待されていたという。
「お宮参りの時点で、すでに食品、衣料品メーカーなどからCMの引き合いがきていたといいます。広告代理店関係者が、当時の取材で『親子3人で2億円程度が相場だろう』という話をしていましたね。また、多くの芸能プロダクション関係者も、『将来はうちから歌手としてデビューさせたい』と、まだ言葉も喋れない彼女にラブコールを送っていました」(前出・芸能記者)
母である松田聖子の溺愛ぶりは、沙也加さんが幼稚園に入園してからも変わることはなかった。当時の様子を本誌の記者は、こう明かしている。
「聖子さんは、幼稚園の運動会に毎年、参加されていました。母として、娘の成長を見守りたいという気持ちがあったのでしょう。ほかの方はトレーナーなどの服装が多かったのですが、聖子さんは、真っ黒のパンタロンスーツに、金の鎖を腰に巻いた格好だったのを覚えています。当然、周囲の保護者は気づきますが、そんなことおかまいなしに声を張り上げて、沙也加さんのことを応援していました」
前出の芸能記者は、2人の関係について「とても複雑なものでした」とも語る。
「14歳のころのインタビューで、沙也加さんは、母の聖子さんについて、“母”というよりも、なんでも話し合えるいちばんの“親友”のように感じる、と語っています。それぐらい親子関係が順調なころもあったんです。しかし、2017年に沙也加さんが俳優の村田充さんと結婚した際、聖子さんは結婚に反対だったらしく、深い亀裂が走りました」
だが、沙也加さんへの愛情が薄れていたわけでは、けっしてなかったという。
「沙也加さんの亡くなった第一報を聞いたとき、聖子さんは相当、ショックを受けていました。父の神田正輝さんが沙也加さんと対面するために、札幌に来るのはすぐにわかったのですが、聖子さんは精神的なショックを受け、札幌まで来るのも難しいという話も出ていたほどです。結果的に、両親揃って北海道で葬儀をおこなうことはできましたが、あまりに悲しい親子の再会となってしまいました」
沙也加さんは間違いなく、聖子の“歌姫としてのスター性”を受け継いでいた。それは、今回のアルバム発売への反響が、何よりも物語っている。
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