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渡辺徹さん逝去から1カ月…追悼で茨城県古河市役所に市民が詰めかけるワケ
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.12.26 16:59 最終更新日:2022.12.26 17:08
「『いつもテレビで笑顔をありがとうございました。魂は生まれ変わりますが、もしもあるとするならば、今度はお会いして楽しいお話をお願いします』って書いたけど、いつかこうなるんじゃないかって思ってました。いろんな病気を抱えてたみたいなのでね。でも、早すぎますよ、61歳で逝っちゃうなんて。むしろこれからじゃないですか、活躍するのは」
親子連れで訪れた女性は、渡辺徹さんが出演するテレビドラマはすべて観ていたと言い、180センチの長身と笑顔キャラが印象的だったとの思いを込めた冒頭のメッセージをメッセージカードにしたため、卓上に置かれたメールボックスに投函したという。
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渡辺さんは、茨城県古河市出身。近年は内臓疾患で闘病生活を続けていたが、2022年11月28日午後9時1分、敗血症で逝去した。茨城県古河市役所は、市民の渡辺さんへの思いを綴ってもらおうと、古河庁舎1階ロビーのエレベーター乗り場脇に追悼コーナーを設置した。
追悼コーナーの白いボードには、「古河大使 故渡辺徹氏を偲ぶ」と書かれたプレートのほか、古河市内の公方公園で毎年3月下旬ごろ、桃の花の開花シーズンに開催される「古河桃まつり」のイベントに出演し、軽妙なトークショーを見せる姿や、古河市長との対談、サイン入りの色紙など、渡辺さんの在りし日の写真が数多く飾られている。
「書きましたよ、しっかりと。『ありがとうございます、あちらでも皆さんを楽しませてください。そして古河の人たちを見守ってください』って。奥さんの榊原郁恵さんと一緒に里帰りして、古河商店街のPRやお祭りに参加して盛り上げてくれたり、ファンとの交流にも気さくに応え、いろいろ貢献してくれた人だったんです」
古河市内外でチェーン店を手広く経営するというオーナー夫妻は、渡辺さんの早世を惜しみながらしみじみと語るのだった。
渡辺さんは1961年5月12日、栃木県小山市で生まれる。だが生後3カ月で、両親とともに古河市に転居した。以来、ずっと古河市に住み、幼少期、学生時代を過ごしたため茨城県古河市出身と名乗っている。古河市立小、中学校を卒業後、1977年に茨城県立古河第三高等学校に進み、1980年に同校を卒業。文学座附属演劇研究所に入所し、演劇の世界に進んだのだ。
文学座は、彼を第二の中村雅俊として売り出す方針だった。実際にそのとおりになり、入所翌年の1981年に早くもチャンスがめぐってくる。テレビドラマ『太陽にほえろ』(日本テレビ系)の竹本淳二刑事役でのデビューが決定し、俳優として好スタートを切った。ドラマではラガーの通称で好演し、その後5年もの間レギュラーを務めたのだった。
これを契機にアクションもの、恋愛もの、シリアスな社会派もの、あるいは時代劇やコミカルなホームドラマなど、幅広い演技には定評があった。1987年10月、『風の中のあいつ』『気になるあいつ』(ともに日本テレビ系)で、榊原郁恵と共演したのが縁で結婚に至った。さらに1982年には、CBSソニーから『彼(ライバル)』が発売され、歌手デビュー。俳優、歌手、司会など、マルチの活躍で、芸能生活は順風満帆に見えた。
しかし一方、若いころの不摂生や肥満が原因で、糖尿病や内臓疾患を患っていた。なにしろ若いときは大食漢で、一日6000キロカロリーはざら。『太陽にほえろ』の出演が決まったときの体重は83キロ。これを69キロまで減量したといわれる。だがこの後も、ダイエットとリバウンドの繰り返しが長らく続き、近年は糖尿病や膵臓炎、虚血性心疾患などで体調は悪化し、入退院を頻繁に繰り返していた。
「2007年8月、渡辺さんを『古河大使』に任命させていただきました。現在まで大使として、古河市の発展やイメージアップなどに多大なる貢献をしてくれましたし、市民フォーラムなどにも参加していただき、市民目線で市政にも関与していただきました。しかしここ数年は、体調面やコロナの影響などで来訪はなく、メッセージだけの参加となっていました。今回このような貢献を踏まえ、追悼コーナーを設けて多くの方々からメッセージを寄せてもらうことに決めました。追悼コーナーは12月27日で終了しますが、市民から寄せられた数多くのメッセージカードは、渡辺さんのご遺族にお渡しすることになっています」(古河市シティプロモーション課)
「私も古河三高の出だが、ただ渡辺さんより6歳下なので、彼が在籍していたときのことはもちろん知らない。でも、学校は利根川に近いから遊びにも行ったろうし、同じ校庭や教室を使ってたんだなって思うと感慨ひとしおのものがあるね。これからメッセージを書くけど、なんて書けばいいか……」(追悼に訪れた男性)
この男性だけでなく、渡辺さんのあまりに早い逝去を惜しむ声は絶えず、メッセージカードに綴られた人々の思いは、必ず天国の渡辺さんに届いているに違いない。
取材&文・岡村青
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