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堺雅人が独立 本誌が聞いていた「故郷・宮崎への恩返し」秘話 早くも「“コロナ隠し知事”の代わりに」の声まで

エンタメ・アイドル 投稿日:2023.01.06 17:26FLASH編集部

堺雅人が独立 本誌が聞いていた「故郷・宮崎への恩返し」秘話 早くも「“コロナ隠し知事”の代わりに」の声まで

2005年、堺と濱崎氏(左)が共演した『宮城野』は、劇作家・ 矢代静一作の、男女の心理的な愛憎劇を描いた作品だ(『宮城野』のパンフレットより)

 

 1月5日、俳優の堺雅人が、28年にわたり所属していた大手芸能事務所、田辺エージェンシーから独立したと、複数のメディアが報じた。

 

 2022年12月いっぱいで、同社との専属契約が満了となり、円満退社となった。堺は周囲に「20代からお世話になっているので、田邊(昭知)社長にはたいへん感謝しています」と話しているという。今後は個人事務所を設立し、活動していく。

 

 

 堺は宮崎市出身。早稲田大学演劇研究会では、看板俳優として名を馳せた。2000年に、NHK連続テレビ小説オードリー』に出演し、全国でも注目され、2004年の大河ドラマ『新選組!』の山南敬助役でブレイク。2012年にドラマ『リーガル・ハイ』(フジテレビ系)に主演すると、2013年のドラマ『半沢直樹』(TBS系)では最終話で視聴率42.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)をたたき出し、国民的俳優としての地位を確立した。

 

 宮崎市出身で、都内でライターをしている30代女性は、筋金入りの堺雅人ファン。堺の独立のニュースを受け、こんな“夢”を語った。

 

「私は、堺さんには宮崎県知事になってほしい。いまや堺さんは宮崎のいちばんの星で、地元の誇りだと思っている人は多いです。もともと官僚志望だという話もあって、政治にも興味があるはず。弁護士(『リーガル・ハイ』)やバンカー(『半沢直樹』)のような、弁の立つインテリの役があれだけハマるんですから、立候補したら当選間違いなしだと思います。

 

 ちょうどいま、当選したばかりの宮崎県の河野俊嗣知事が、コロナの症状があったのに元日に初詣に行っていたことで、批判を受けてますよね。しかも地元紙に動静を載せないように頼んでいたと。せっかく当選したのに、いきなりの不祥事で、地元の私の親戚は怒っています。このまま河野さんが知事を辞めるようなことがあったら、私としては本当に、堺さんに代わりに知事選に出馬してほしい。このタイミングで事務所から独立したのも、何かの縁だと思うんです」

 

 地元愛が強いことで知られる堺。本誌は2020年8月、堺の「故郷・宮崎への恩返し」を、彼の恩師から聞いている。

 

 3人兄弟の長男として、兵庫県神戸市で生まれた堺は、直後に宮崎市へ引っ越し、幼少期をそこで過ごした。

 

 宮崎大学教育学部附属中学校から、県内屈指の名門・宮崎南高校に進学する。朝から晩まで大学受験を意識した、厳しい授業のある高校で、堺が息抜きの場を求めて選んだのが、演劇部だった。

 

 演劇にのめり込んだ堺は、高校1年の夏、県主催の1泊2日の演劇研修会に参加した。講師を務めた、宮崎市在住の女優・濱崎けい子氏が当時、本誌に語っていた。

 

「70人ぐらいで、太平洋戦争を題材とした群読劇をやることになったんです。『この役をやりたい人?』と聞くと、堺くんだけが『ハイ!』。また『この役をやりたい人?』と聞くと、堺くんが『ハイ!』。それじゃ、役が決まらない(笑)。とにかく、積極的な子でした」

 

 堺は3年生になると、自身が座長を務める舞台『飛龍伝』を公演した。原作は、つかこうへい。1960年代の、東大安保闘争が舞台だ。

 

「この時代の東京の大学がどんな雰囲気だったか、何度も聞きに来ましたよ」

 

 そう語っていたのは、堺が自身の著書『文・堺雅人』で、“唯一の師” として名前を挙げた、歌人の伊藤一彦氏だ。

 

「当時、私はスクールカウンセラーを務めていました。カウンセリングルームが演劇部の近くにあったからか、堺くんがよくやってきました。彼は、『質問魔』なんですよ」

 

 堺が高校2年のとき、自作の脚本が九州高校演劇コンクールで創作脚本賞を受賞している。堺には、脚本家としての才能もあったのだ。

 

「小学生のとき、『買いたい本がある』と、新聞に投書して図書券をもらっていました。『どんなことを書けば採用されるか、わかる』と豪語するほどでした。高校時代の模試では、偏差値が80を超えることもありました」(地元の同級生)

 

 前出の伊藤氏もこう語っている。

 

「国語の教師が『堺に100点を取られないよう、試験問題を作るのに苦労した』なんて、話していたほどです」

 

 もともと、「国立大を出て官僚になるのが希望」だった堺だが、早大出身の伊藤氏の影響もあり、同大の第一文学部に入学。演劇研究会で過酷な稽古に打ち込んだ。

 

「当時は、まだ演劇で食っていくつもりはなかったと思います。でも、演劇にのめり込んだせいで、大学で自分の希望する専修に進めなくなったそうです」(地元の友人)

 

 大学3年の春に、突如として大学を中退。家族には、事後報告だった。

 

「実家からは、勘当状態が続きました。テレビの仕事もなく、友人に奢ってもらい、食いつなぐ時期もありました」(同前)

 

 だが、この時期に堺が、“令和の名優” となるための素質を磨いていたのは間違いない。濱崎氏は語っている。

 

「彼が宮崎に戻ってきたときのことです。飲み会の席で、ただ脚を組んで座っている姿に、ゾクッとしてね。それまで感じたことのない “オーラ” を、初めて感じたの」

 

 そしてついに堺は2000年、NHK連続テレビ小説『オードリー』に出演し、全国区で知られるように。27歳のときだった。

 

「当時、宮崎市内で飲んでいたら、堺くんの父親から『息子が、NHKの朝ドラに出ているんです。観てくれなくては』と自慢されたんです。

 

『観てくれなくては』という言葉には、“早稲田の文学部という就職が難しいところにやったのは先生のせいだから、責任を取って見届けてくれ” という意味もあったのでしょうね(笑)」(伊藤氏)

 

 両親からの連絡で、堺の勘当は解け、のちに東京へ両親を呼び寄せるほど、“芸能人” として成功を収めた。だが彼は、故郷を見捨てたわけではない。ここから、堺の「恩返し」が始まるのだ。

 

「2000年ごろ一緒に飲んだとき、『私の宮崎の劇団が、2005年に20周年を迎えるの。そのとき一緒に、芝居をやりたいな』と言ったら、『やりましょう』と快諾してくれたんです。でも2004年に、『新選組!』(NHK)が大ブレイクして。忙しいから無理だろうな、と諦めていたんです。

 

 ところが彼は、『僕は、約束したならやります。来年の夏、1カ月空けておきました』と言ってくれたんです」(濱崎氏)

 

 だが、所属事務所にとっては、まさに稼ぎ時。出演依頼が殺到していたはずだ。

 

「堺くんは、大切な時期なのに事務所も通さず、個人で出演してくれたんですよ。しかも堺くんのファンも、宮崎まで来てくれました」

 

 まさに、リアル『半沢直樹』ばりに、情に厚い男だったのだ。前出の同級生もまた、堺の “恩返し” ぶりを語る。

 

「2010年に、宮崎で家畜の口蹄疫が蔓延したときも、心配して帰ってきてくれました。いまでも定期的に帰ってくるのは、故郷の宮崎を大切にしてくれているからだと思います」

 

 2023年10月、堺は50歳の節目を迎える。これだけの地元愛があれば、宮崎県知事もあながち「夢物語」と言い切れない。

( SmartFLASH )

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