エンタメ・アイドルエンタメ・アイドル

田原俊彦の妹役でデビューした松本伊代、実はマッチのファンだった「チョコを渡しておいてください」

エンタメ・アイドル 投稿日:2023.02.13 11:00FLASH編集部

田原俊彦の妹役でデビューした松本伊代、実はマッチのファンだった「チョコを渡しておいてください」

 

 1982年はアイドルの当たり年でした。中森明菜さん、小泉今日子さん、シブがき隊など、人気アイドルが多数デビューしたことで「花の82年組」と呼ばれています。

 

 2月4日のwebサイト『婦人公論.jp』が「花の82年組」の名曲を売上枚数順にランキング形式で発表していました。

 

 1位は小泉今日子さんの『あなたに会えてよかった』、2位は中森明菜さんの『セカンド・ラブ』、そして3位に、当時絶大な人気を誇っていたシブがき隊を抑えて、松本伊代さんの『センチメンタル・ジャーニー』が入っていました。

 

 

 伊代さんはヒロミさんとの結婚後も、「花の82年組」の早見優さん、堀ちえみさんと2005年にユニット『キューティー☆マミー』を結成。2017年以降は早見優さん、森口博子さんとユニット『キューティー☆モリモリ』を結成し、今もアイドル活動を続けています。

 

 筆者は以前、伊代さんに1982年当時のアイドル事情や夫のヒロミさんとの関係性についてお話をお聞きしました。

 

 伊代さんは田原俊彦さん、近藤真彦さん、野村義男さんが組んでいたアイドルユニット『たのきんトリオ』の冠番組『たのきん全力投球!』(TBS系)内の『田原俊彦の妹役オーディション』に合格したのをきっかけに芸能界デビューしました。

 

「実は当時、私はマッチ(近藤真彦)のファンだったんです。だから内緒にしてたんですけど、だんだんバレてきちゃって(笑)。

 

 私がトシちゃん(田原俊彦)にバレンタインデーのチョコを『これマッチに渡しておいてください』って……いま思ったら考えられないですよね(笑)。それからはトシちゃんに『お前はマッチ派だからな』ってずっと言われ続けました」

 

 当時のアイドルは、恋愛に対し、いまよりタブー視されていました。そんな風潮がまだ色濃く残る1993年、伊代さんがヒロミさんと結婚したことで、芸能界に激震が走ったのです。

 

「マスコミに追いかけられたり記者会見とかはありましたが、アイドルだったんで、一応、内緒にはしてたので、全然大変ではなかったです」と本人は動じていませんでした。

 

 結婚後の2004年から2014年まで、ヒロミさんは芸能活動を一時休止しましたが、そのとき伊代さんは収入面も含め不安はなかったのでしょうか。

 

「不安はなくて、逆にヒロミさんはそのときまで子育てにあんまり参加してなかったので、家にいて子供たちと遊んでくれたので、嬉しかったです。

 

 そのうち、ヒロミさんはトレーニングジムの仕事を始めて、ジムをやりながらスカイダイビングとか遊びもやっていたから、私はヒロミさんに「今日は何して遊ぶの?」って聞いてました(笑)」

 

 小さな子供に声をかけるようにヒロミさんと接する伊代さん。それはヒロミさんが芸能活動休止から再びテレビに出始めてからも変わりませんでした。

 

「ヒロミさんは『怖い』っていうイメージがあるから、私が『いつもニコニコしてなさいよ』とか『ちゃんとご挨拶するんですよ』」とか言ったら『はーい』って言ってました。お母さんと子供みたいですね(笑)」

 

 伊代さんは、いまでもデビュー曲の『センチメンタル・ジャーニー』をよく歌うと言います。

 

「『センチメンタル・ジャーニー』は歌いすぎているから、自分では普通に歌ってるつもりだけど、慣れが出ちゃってて。レコーディングのときにプロデューサーさんに、『もっと、ていねいに歌って』と言われて。

 

 そのときに、『センチメンタル・ジャーニー』と慣れ合いの関係になってしまった自分に気づきました(笑)」

 

 昨年末、伊代さんはバラエティ番組の収録中に全治3カ月の重傷を負ったという報道がありました。早く元気になられた伊代さんの『センチメンタル・ジャーニー』を、またお聴きしたいですね。

インタビューマン山下

1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。

( SmartFLASH )

続きを見る

エンタメ・アイドル一覧をもっと見る

エンタメ・アイドル 一覧を見る

今、あなたにおすすめの記事