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原田龍二「裸一環からの再出発」プライベートは街の美化委員

エンタメ・アイドル 投稿日:2017.07.14 16:00FLASH編集部

原田龍二「裸一環からの再出発」プライベートは街の美化委員

 


「あの『丸腰刑事』は、僕にとってまさに名誉挽回のチャンス到来だったんです。あらためて、松本人志さんに拾っていただいたなという感じですね」

 

 俳優・原田龍二(46)が一躍脚光を浴びたのが、2016年末に放送された『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで! 絶対に笑ってはいけない科学博士24時』(日本テレビ系)。アキラ100%とともに「丸腰刑事」を大熱演。その振り切った裸芸は大きな話題になり、上半期は続々とバラエティに登場。特に松本人志とは、「オレ、浜田より会ってんちゃうかな」と言われるほど、共演が続いている。

 

 4月からは『5時に夢中!』(TOKYO MX)金曜MCにも抜擢されるなど、まさに裸一貫で摑んだ再ブレイク。原田は1992年、ドラマ『キライじゃないぜ』(TBS系)でデビュー。2003年には『水戸黄門』(TBS系)の五代目・助さん役に抜擢され、2004年からは『相棒』(テレビ朝日系)の陣川公平役も務める正統派“イケメン俳優”だった。

 

 なぜ丸腰刑事が「チャンス」だったのかーー。

 

「僕は昔から憎めない男など、どこか救いのある役をいただく機会が多くて。それを見た方が『二枚目』と思ってくださるのはいいのですが、『本当の自分はそうじゃない』というジレンマがずっとあって。

 

 だってイケメンってつまらないですから。僕にとってのカッコよさとは『見た目』よりも、どれだけ自然体でいられるかなんです。

 

 だから、丸腰刑事はそれまでのイメージを打ち消す、千載一遇のチャンスでした。この機会を逃したら一生ないだろうと、喜んで食いつきましたよ」

 

 独自の価値観が生まれた契機は20代半ばから出続けた『世界ウルルン滞在記』(TBS系)だ。世界中の僻地へ赴き裸族の集落に滞在すれば自身も裸に。現地の人の食事はなんでも食べた。


「じつはデビューから数年間は、『自分は俳優をやめたほうがいいのでは』とずっと葛藤していたんです。下積みをせずに出てしまったので、我ながら見るに堪えない演技で、とても俳優とはいえなかったんです。そんなときいただいたのが『ウルルン』の仕事でした」

 

 当初は「人前で泣くのはみっともないと思っていた」と笑う。

 

「でも、番組では毎回、価値観をぶっ壊されるような衝撃と感動がありました。そこで、取り繕うより自然体であることや潔くあることこそが、カッコいいと思うようになったんです」


 一皮むけた原田は、国内での旅番組に出演する機会も増えた。自然体を愛する彼は、最初からタオルを巻かずに入浴するスタイルを確立、自らを「温泉俳優」と称した。

 

 結果的に、この脱ぎっぷりのよさが『ガキ使』プロデューサーの目にとまったのだ。彼が「師匠」と慕うアキラ100%はこう語る。

 

「練習が始まって30分もしないうちに、自ら『脱いでやっていいですか?』と。ありがたいことに、丸腰刑事へのリスペクトをビンビン感じました!」

 

「師匠」の言葉を原田に伝えるとーー。

 

「最初から裸でやるものと思っていたんです。でも行ったらジャージが用意されていてずいぶん保守的だなと(笑)。ただ、本番は一発勝負ですから、途中から裸になって練習させてもらいました。スタッフさんにも『ちょっと見えた』と指摘していただきながら……」

 

 その全力投球ぶりが、『ガキ使』伝説に残る笑いを生んだのは冒頭のとおり。

 

「もともと自分は芸能界では異質な存在だと思っていたんです。特別派手なわけでも入れ墨が入っているわけでもない(笑)。

 

 でも、ジャングルでの生活とか、普通のタレントさんがいやがりそうなことは思いっきりやりたい。そこを松本さんはキャッチしてくれたのではないでしょうか。神がかった人ですから。まあ、変わった人といいますか。デビュー25年でついにこの“異質”が日の目を浴びて嬉しいです」

 

 最近では、若かりしころは相当やんちゃだったことも明らかに。1歳下でやはり俳優の弟・本宮泰風とともに「武闘派」として知られていたという。

 

「いえいえ、徒党を組むのも弱い者いじめも嫌いです。むしろそういう輩を成敗する係。街の美化委員ですよ(笑)」

 

 そんな彼も私生活では一男一女の父。現在は埼玉県・浦和在住で「火曜と金曜の燃えるゴミの日は、ゴミ出しついでに、家の前にある公園のゴミ拾いもしていますよ」と、堅実な日々を送る。形は違えど、今も街の美化委員なのだ。

 

「昔も今も自分は俳優というより『一人の人間としてこうあるべき』という矜持を持って生きています。でも、すべてが必然だったと受け入れられるようになったのは40歳を過ぎてから。いろんな人と出会うことで心の装飾品を外してもらったんでしょう。見栄も体裁もすべては余分なもの。人生、丸腰!」

 

 裸一貫の再出発は40代でも遅くない。彼は“生き証人”なのだ。
(週刊FLASH 2017年7月4日号)

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