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岡田有希子、デビュー5カ月前の写真発見…16歳の少女は東大のイベントで賞品係を【没後37年】
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2023.04.08 06:00 最終更新日:2024.08.22 17:35
「芸能界に入るのは、私の夢を実現するためよ。カンヴァスが舞台に変わっただけよ」
絵が得意な名古屋の女子中学生・佐藤佳代は、芸能界入りに反対する両親をこう説得したという。
1983年3月の『スター誕生!』(日本テレビ系)で合格し、岡田有希子と名づけられた少女は、翌1984年4月21日、16歳のときにシングル『ファースト・デイト』で華々しくデビューした。
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今回紹介する、緊張気味にステージに立つ岡田の写真は、1983年11月18日、そのデビューから5カ月も前の未公開カットだ。
撮影したのは、高校生だった冨永馨(かおる)さん(58)。当時を振り返り、こう語る。
「僕は当時カメラ小僧で、つちやかおりさんのコンサート目当てで、東京大学駒場祭に出かけました。少し早く着くと、会場ではチャリティオークションをやっていて『かわいいコだな』と、ステージの女性を何枚か撮ったんです」
冨永さんの記憶では、司会者は岡田を “新人のコ” と簡単に紹介し、岡田も賞品を渡す役割に徹していたという。
オークションが終わった後、ステージを降りた岡田をともなって、マネージャーが冨永さんのところに駆け寄った。
「今度デビューする、ウチの有希子です。よろしくお願いいたします!」
「岡田有希子です。よろしくお願いします!」
冨永さんは2度、シャッターを切った。
「通常はアイドルを呼び止めても、マネージャーに撮影を断わられることが多いんです。なぜかこのときは、岡田さんはまっすぐカメラを見つめてくれて、マネージャーも『どうぞ、どうぞ』と少しだけ、一対一にしてくれました。主催者側のカメラマン以外、僕しか写真を撮っている人がいなかったからかなあ」(冨永さん)
このとき、岡田を招いたのは東大のサークル・歌謡曲研究会。当時を知る関係者が、経緯を思い起こしてくれた。
「あのころは、大学のアイドル研究会と芸能プロダクションの距離が近く、特に(岡田が在籍していた)サンミュージックは、歌謡研で作っていたミニコミで、デビュー前の新人を取材させてくれたりしました。ユッコもそうして事務所が売り込んできた一人で、こちらからオファーしたわけではなかったはずです」
作家で、アイドル評論家の中森明夫氏にも写真を見てもらった。
「すごく貴重な写真ですね。非常に懐かしい……そして、デビュー前なのにオーラがありますね。この写真の1年後には、レコード大賞最優秀新人賞を獲ることになるんですよ。
僕も、1985年にテレビ局でご挨拶したことがあります。ものすごくかわいかったですね。笑うとエクボができて……亡くなる半年前でした」
1986年4月8日、岡田は東京・四谷のサンミュージック本社屋上から飛び降りた。享年18。
「僕は命日に、毎年現場で手を合わせています。今年は土曜日だから、かなりの人が集まるんじゃないかな。37年経ってもみんな忘れないし、若い人も来ています。人気絶頂で、さらにこれからというときに亡くなった、伝説のアイドルですよ」(中森氏)
駒場祭から遡ること1カ月、1983年10月20日の岡田の日記にはこうある。
「絶体、誰にも負けたくない 聖子さん、百恵さんのような日本を代表するトップスターになりたい」
アシスタント役でも、そんな決意で立ったステージだったはずだ。
参考文献:岡田有希子『愛をください』(朝日出版社、1988年)