エンタメ・アイドルエンタメ・アイドル

佐藤江梨子 戸惑いだらけだった女優活動…「もっとできることを増やさないと」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2023.04.09 11:00 最終更新日:2023.04.09 19:28

佐藤江梨子 戸惑いだらけだった女優活動…「もっとできることを増やさないと」

佐藤江梨子

 

 月島にはおよそ100軒のもんじゃ焼き専門店があるという。メイン通りの通称「もんじゃストリート」から路地を入ったところに佐藤江梨子が愛する創作和食店「1と8」がある。

 

 昭和を感じさせる木造家屋を改装した店舗には目立つ看板がない。周囲の民家に溶け込みすぎて迷ってしまった。

 

「私ですら毎回、周囲を3回ぐるぐるします」と笑った佐藤は定番だというハイボールを注文した。桜の季節とは思えない気温。とても美味しそうに飲む。

 

 

「月島に住んでいたモデルの友人が15年くらい前にオープンしたお店なんです。今はオーナーが代わっていますが、スタッフの皆さんはそのままなので通わせてもらっています。京都の町家みたいな路地も大好き。そういえば、初めて来たころは私、まだ独身だったなあ」と「海鮮ばくだんの海苔巻き」を頬張った。

 

 1999年、佐藤は高校在籍中に「大磯ロングビーチ キャンペーンガール」に選ばれ、一躍注目の存在になった。

 

「お仕事をいただきながら申し訳ないことなんですけど、デビューしてからしばらく『仕事を断わってはいけない。働いていなければならない』というだけの日常だったように思います」

 

 所属していたイエローキャブの社長だった野田義治氏は業界でも有名な “やり手” で知られていた。

 

 まずは野田氏との出会いを聞いた。

 

「お仕事を始めたばかりのころに野田さんとお会いする機会があり、その延長で母と一緒に事務所に行くことになりました。ドアを開けると、週刊誌に所属タレントさんのことが書かれていたとかで、野田さんが大激怒している場面に遭遇。一般的な野田さんのイメージが『怖い』だったので、母は心配そうでした。事務所の方は『いつもはもう少し落ち着いている社長なんですけど』とおっしゃっていましたが」と苦笑する。

 

 苛烈な野田氏を目の当たりにして、なぜイエローキャブ入りを決めたのだろうか。

 

「野田さんから『うちの会社はどんどん着せていく会社です。最初は(タレントの)顔を売るために露出もありますが、今以上に脱がせることはしません』と言われたので信用しました。

 

 私はヌードになっているイメージがあるんですけど、脱いだことってないんです。

 

 両親からも『ヌードになるならお父さんとお母さんを殺してからにしてくれ』と言われていました。

 

 デビューからしばらくして、有名カメラマンさんに『ヌードになりませんか』と言われたときも『お父さんとお母さんを殺すのが嫌なんです。カメラマンさんの家族全員を殺してからでもいいですか?』と聞いてドン引きされちゃって(笑)」

 

 イエローキャブに所属してからは、初の写真集をハワイで撮影するなど話題を集めた。同時に “超” がつくほど多忙になった。しかし野田氏が苦労して取ってきた仕事。自身の責任感の強さもあり「仕事を断わってはいけない」と思うようになったのも必然だったのだろう。佐藤の気持ちは次第に不安定になった。

 

「キャパシティオーバーになったんでしょうね。高校の授業もあるし、毎日何かのお仕事が入っていましたから。ほかのプロダクションの方と合同で演技レッスン、ボイストレーニングもしました。アイドル志望の皆さんと極真空手も習いましたが、『私、アイドルになりたいのになんで空手?』と言って来なくなる女の子もいて、7人いたのに最後は私だけ。そんな日常だったからいつも眠かったです。お風呂上がりにスイッチが切れたようにフワッと倒れそうになってしまうこともありました」

 

 2004年、映画『キューティーハニー』に主演。『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(2007年)では、ヨコハマ映画祭主演女優賞を受賞するなど、佐藤は服を着る仕事、女優へ活動をシフトしていった。この過程で迷いや戸惑いはなかったのだろうか。

 

「戸惑い……だらけでした。今も自分が出演しているシーンは恥ずかしくて冷静に見られません。指の動きとか、瞬きの多さとか細かいことですけど下手すぎて。過去作品が再放送されるとき、知り合いから『おめでとうございます』と言われるんですけど、恥ずかしさが勝って喜べないです。

 

 息子はユーチューブで私が出演した映画の『口裂け女』(2007年)を観たらしいです。感想は聞いていません。不思議と昔の週刊誌のグラビアは静止画像だから見られるんですけどね」

 

 女優として活動していくなかで忘れられない言葉があるという。野田氏から言われたことだ。

 

「野田さんから『30歳までは恥ずかしい、嫌だなと思うことをちゃんとやりなさい。カッコつけようとしたらダメ、負けだよ。そうすれば、それから先はなんでもできるようになるから』と言われたんです。そして、『メモしておけよ』と言われたので必死にメモを取りました。

 

 いい言葉なんですけど、私、30歳前に野田さんのもとから離れたので、30歳以降はどうすればよかったのかを聞きたいんです。だけど野田さん、ちょくちょく自分が言った言葉を忘れるので、この言葉を覚えているかどうか……。

 

 あと、野田さんからは『お前はいいことをしても目立たないけど、悪いことをすると目立つ。ほかの人がしても言われないことでもお前は言われる。しかも尾鰭がついて噂になる』とも言われました。

 

 なんだかすごく気になって、今も守っています。信号も絶対に守るし、気になったゴミは拾います」

 

 最後に「女優・佐藤江梨子のこれから」を聞いた。

 

「もっともっと、できることを増やさないといけないなと思います。未完成すぎますから。3月まで『とりあえずカンパイしませんか?』(テレビ東京)に出演させていただきました。バーの店主の役だったんですが、水仕事のシーンが多いので手にアカギレができたんです。初めてのことでびっくりしていたら、スタッフさんが『飲食で働いていたときよくできました』と言っていたのを聞いて、自分がいかに人生経験が少ないかを知りました。

 

 昔は『自分が何をやりたいか』ではなく『佐藤江梨子に合う役』をいただいていましたけど、どうにかこうにか20年以上役者のお仕事をさせていただけているので、これからは『この役は佐藤江梨子でなければ』とお声をかけていただけるようになりたいですね」

 

さとうえりこ
1981年12月19日生まれ 東京都出身 1999年、「大磯ロングビーチキャンペーンガール」に選出され、本格的に芸能活動を始めた。同年にドラマ『美少女H』(フジテレビ)でデビュー。以後、グラビア、映画、テレビ、舞台などで幅広く活動。2003年、『気遣い喫茶』で作家デビューした。2004年、主演映画『キューティーハニー』では抜群のプロポーションを生かして話題を集めた

 

【1と8】
住所/東京都中央区月島3-8-8
営業時間/月曜~金曜17:00~23:00、土曜は完全予約制
定休日/日曜・祝日

 

写真・野澤亘伸、福田ヨシツグ
スタイリスト・奥田ひろ子
ヘアメイク・大森裕行
衣装協力・アサクラ(ワンピース)、卑弥呼(靴)

( 週刊FLASH 2023年4月18日号 )

続きを見る

今、あなたにおすすめの記事

エンタメ・アイドル一覧をもっと見る