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マシンガンズ・ 滝沢秀一 結成から25年、ゴミ清掃員をしながら「芸人をやめなかったのは執着」

エンタメ・アイドル 投稿日:2023.05.28 11:00FLASH編集部

マシンガンズ・ 滝沢秀一 結成から25年、ゴミ清掃員をしながら「芸人をやめなかったのは執着」

滝沢秀一

 

 北海道名物が人気の東京・高円寺にある「居酒屋ひらくら」に現われたのは、ゴミ清掃員としても活躍する芸人・マシンガンズ滝沢秀一。5月20日におこなわれた新しい賞レース『THE SECOND~漫才トーナメント』(フジテレビ系)のファイナリストとして、パワフルな漫才を見せたのも記憶に新しい。

 

「よく芸人の仲間と来ています。昔は芸人論みたいなことを話していましたが、今はもっぱら健康の話ばかり。美味しいものを食べて、楽しく飲んで、が一番になりました」

 

 

「ひらくら」名物・若鶏の半身揚げにかぶりつく滝沢。

 

「以前は、『野武士』という店があった場所です。竜兵会(ダチョウ倶楽部・上島竜兵さんを中心とした集い)で先輩たちによく連れてきてもらって朝まで飲んでいました。思い出の場所です」

 

 芸人になろうと思ったきっかけは大学生のころ。

 

『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』(1993~1994年、テレビ朝日)の勝ち抜きバトルで無双していた爆笑問題を見て、漫才師になりたいと思ったという。

 

「養成所の入学金は大学生がお小遣いで出せる金額ではなかったので、とりあえずお金を貯めてカルチャースクールに通うことにしました。そこは、おばさんたちがちょっとした漫談を教えてもらう場所で、入ってすぐに間違えたと気づきました。そこに俺以外に20代で入っていたのが、今の相棒の西堀(亮)でした」

 

 1998年、マシンガンズを結成したが、ライブに出演するのも手探り状態だった。当時は、爆笑問題の所属事務所・タイタンに入るのが憧れだった。

 

「爆笑問題さんの近くで漫才をやりたくて。ただ当時は、募集をしていないと言われて断わられました」

 

 その後、ダチョウ倶楽部や有吉弘行らが所属する太田プロへ。

 

「太田プロに入れて先輩方と出会えてすごくよかったです」

 

 初舞台がウケたため、芸人人生はこのまま順調に進むと思ったそうだが、なかなか芽が出なかった。

 

「早いコンビはデビュー4、5年でテレビに出だすんですよ。同期でも流れ星とか磁石とかはお笑いブームにきちんと乗れて、人気者になって。

 

 でも、俺らはテレビにも出られない。当時、この世代の落ちこぼれはオードリーと俺たちでした」

 

 オードリーとは落ちこぼれ仲間として、ライブを主戦場に頑張っていた。だが『M-1グランプリ2008』でオードリーは敗者復活戦から決勝に進出。総合2位で一躍、時の人になった。

 

「あのとき、俺らも同じ敗者復活戦の会場にいたんですよ。オードリーだけが名前を呼ばれて、本会場に行ってネタをして……。そこからテレビを観るたびに2人がいるようになって。何が起こっているんだろう? と受け入れるのに時間がかかりました。しばらくして冷静になり、活躍の度合いを見ていると(オードリーを)認めざるを得なくなりました」

 

 マシンガンズがようやく世間に認知され始めたきっかけは『エンタの神様!』(2003~2010年、日本テレビ)だ。「MAXめんどくせぇ!」という決め台詞で理不尽なことに噛みつく漫才を披露した。

 

「あれは『エンタ』だけのネタでした。当時、リーダー(ダチョウ倶楽部・肥後克広)に、ちょうどこの場所で、『お前たちはせっかく積み上げていった笑いを全部ぶった切るな。こんな笑いの取り方、見たことがない。サムライだな』と冗談交じりにイジられて。きっと今までの俺らっぽくなかったんだと思います」

 

 そうやって少しずつ知名度を上げるも、爆発的な人気にはならなかった。

 

 ライブの出演者のなかでだんだん “年上” になっていき、周囲から気を使われるようになっていった。

 

「やめなかったのはただの執着です。最初はいつか売れるかもと思っていましたが、途中からそれよりもやっていることに意味があると思い始めて。才能がないのなんて始めて10年たてばわかるし、でも才能がないからってやめるほどの根性なしでもない。よく『知らない地獄より、知っている地獄』って言っていたんですが……やめるほうが勇気いると思っていたのかも(笑)」

 

■有吉弘行のひと言でゴミ清掃芸人の道へ

 

 子供ができたことをきっかけに、妻から「働いてほしい」と言われ、滝沢はゴミ清掃員として就職した。だが、芸人はやめなかった。

 

「最初は二足のわらじを履くのは嫌でした。べつにゴミのことが好きだったわけでもないし。清掃員の仕事を始めて3年くらいたったとき、『アメトーーク!』(テレビ朝日系)を観ていたらサンドウィッチマンが出ていたんですよ。彼らも同期なんですが、端っこのほうに座っていて……。M-1王者が端っこなら、俺はどこに座るんだろう……席はないなと、一気にいろんなことに気づきました。そのとき目の前のことを真剣にやろうと、気持ちが変わりました」

 

 それからは、ゴミ清掃に対して真剣に向き合い、そのとき感じたことをツイッターでつぶやいた。

 

「それを見ておもしろがってくれたのが有吉さん。毎日の書き込みをリツイートしてくれて、それが嬉しくて『有吉さんが喜んでくれるなら』とつぶやくようになりました。

 

 本を出したときも、『へんに笑わせずにちゃんとゴミのことを伝えろ。お前のおもしろいところは、ゴミの話を真面目にしているところだ』とアドバイスをもらえて。

 

 これは本当にありがたかったです。もし、アドバイスをもらわず、ふざけていたらと考えるとゾッとします」

 

 今では、「ゴミ清掃員兼芸人」という肩書で活動。環境問題とバラエティを融合した『~なぜここにいるの?~ごみ物語』(テレビ朝日)にもレギュラー出演している。

 

「開始から関わっているので、特番からレギュラー放送になって本当に嬉しかったです。やっぱ環境問題についての番組は興味があるので、これからもやりたいと思っています」

 

 今年になり芸人としてもついに結果がついてきた。結成16年以上の芸人たちのネタバトル『THESECOND~漫才トーナメント』では、数々のジャイアントキリングを見せてファイナリストに。

 

「今までなんの目標もなくやってきたので、注目されるなかでネタができるのは本当に楽しい。やっていれば何か起こるかもという偶然性にまかせていたら功を奏した感じです」

 

 会場の空気を一気に掴んだ漫才はすべてアドリブだ。このやり方が本人たちに合っていたという。

 

「生意気なんですけどね。今まで練ったネタで売れているわけでないからと4年くらい前からこの方式に変えました。そのとき感じたことをストレートに伝えられるから、ふだんやってきたことが生きた漫才になっていると思います」

 

 続けてきたからこそ見えた世界。これからどんな笑いを見せるのか期待したい。

 

たきざわしゅういち
1976年9月14日生まれ 東京都出身 1998年、西堀亮とマシンガンズを結成。『エンタの神様!』では、「MAXめんどくせぇ!」というワードとともにテンポの速いWツッコミ漫才を見せる。その後、生計を立てるためごみ収集会社の収集作業員に就職。著書『このゴミは収集できません ゴミ清掃員が見たあり得ない光景』(白夜書房)がヒットするなど、芸人とゴミ清掃員との二足のわらじを履く。デビュー16年以上の漫才師の頂点を決める『THE SECOND 〜漫才トーナメント〜 2023』のファイナリスト

 

【居酒屋ひらくら】
住所/東京都杉並区高円寺南1-6-9木村ビル1F
営業時間/11:30~14:00、17:00~25:00(L.O.24:00)、日・祝日~23:30(L.O.22:30)
定休日/水曜、月1回臨時休業あり

 

写真・伊東武志

( 週刊FLASH 2023年6月6日号 )

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