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田島 亮、遅刻騒動で失った仕事…それでも辞められなかった俳優業「演じることの楽しさが、本能に刻まれている」

エンタメ・アイドル 投稿日:2023.06.11 11:00FLASH編集部

田島 亮、遅刻騒動で失った仕事…それでも辞められなかった俳優業「演じることの楽しさが、本能に刻まれている」

田島 亮

 

 俳優の田島亮は、13年前にアルバイトをしていた東京・渋谷のニュージーランド料理専門「NEWZEA PLATFORM」に今も通っている。

 

「役者デビューしてからもこの店で週に2回働いてました。僕は使えないスタッフで、グラスや皿をよく割ってました。当時のバイトの同期が、今の店長です。応援し合った仲で、(田島が)厳しい時期も支えていただいたんです」

 

 

 田島の芸能人生の始まりはお笑い芸人だ。16歳のとき、同級生とお笑いコンビ「ホットスポット」を結成し、学校でネタを披露していた。「M-1甲子園全国大会」で決勝に進み、テレビにも出演したが……。

 

「『芸人になりたい』と父に告げると『芸人は特別な人がなるもの。お前は向いてない』と完全否定されました」

 

 田島の父親は、平均視聴率20%超えのドラマ『人にやさしく』(2002年、フジテレビ)の演出家・田島大輔氏だ。

 

「父親の作品を見て育ったので、作り手になりたいという気持ちはありました。父についていったドラマの撮影現場で役者に興味を持ち、養成所に入りました」

 

 田島はオーディションを勝ち抜き、ドラマ『花ざかりの君たちへ~イケメンパラダイス~』(2007年、フジテレビ)に出演した。

 

「当時、自分は『演技力でてっぺんをとる』と思っていましたが、全然ダメでした。共演者の岡田将生さんが本当に演技がうまくて。自分ができない、肩の力を抜いた自然体の芝居を、年下の高校生なのにできる凄みもありました」

 

 田島は役者として生き残るために共演者の研究を始めた。

 

「『ここが凄い』みたいな部分を盗んで自分を高めようとしていたんです。蜷川幸雄さんの舞台のときは藤原竜也さんの集中力と台詞術とか。小栗旬さんの芝居もマネをしてました」

 

 しだいに田島は蜷川氏の舞台に起用されるようになった。だが、そのときの自分は「間違っていた」と振り返る。

 

「芝居の努力の方向を間違っていたんです。自分の演技力を高めるための努力のはずが、いつの間にか『売れる役者になりたい。蜷川さんの舞台や連ドラに出る』ためのものに変わっていて。自分の演技にもスランプを感じていました」

 

 2013年、取り返しがつかない事件を起こす。

 

 舞台『効率学のススメ』に出演していた田島は、開演時刻を勘違いし、寝坊。舞台に穴を開けた。事件は大きく報道され、「遅刻俳優」として激しいバッシングを受けた。

 

「ショックが大きすぎて、あのときの記憶があまり鮮明じゃないんです。あのことは一生背負い続けます」

 

 騒動により、すべての仕事を降板。事務所も退所し、25歳ですべてを失った。

 

 仕事がなくなった田島は不動産会社でアルバイトを始めた。スランプもあり、これを機に役者は休業しようと思っていた。

 

「遅刻した舞台で共演した中嶋しゅうさんに『一旦、役者をやめます』と伝えました。すると『何、言ってんだ。苦手や欠点を克服するには芝居を続けるしかない。それを一生続けるのが役者だ』と言われ、自分の中に炎が灯りました」

 

 次の日から芝居をする準備を始めた。そして、アルバイト先の会社で披露した。

 

「お盆休み前の打ち上げで、(会社の)スタッフ5人を前に1時間半の芝居をしました。

 

 800人のお客さんの前で演じていた自分が、5人の前でやる。これが革命的に楽しかった。芝居が終わると『またやってくれ』と言っていただき、クリスマスに4回公演しました。今度は20人が見てくれたんです。芸能界からは離れましたが、演じる喜びを心底感じていました」

 

 もう一人、田島を支えた人物がいた。映画『新聞記者』(2019年)で知られ、映像制作会社・バベルレーベルを率いる藤井道人監督だ。藤井監督が日本大学芸術学部の学生だったころからのつき合いだ。

 

「藤井さんに『バベルで映画を撮ってみるか』と声をかけてもらったんです。それで2020年まで所属しました。自主映画の監督のほか、撮影、編集、香盤表作り、弁当の手配まですべてやりました」

 

 映像制作をしながら、2017年から舞台で役者としての活動も再開した。だが、舞台で挫折を味わう。

 

「2020年、舞台で大谷亮介さん、神野三鈴さんと共演しました。それまでセンスや才能で勝てないと思っても、努力を重ねれば勝てると思っていたので挫折感を味わうことがなかったんです。でも、このお二方には努力の面でも絶対に勝てないと感じたんです。発声などの地道なトレーニングや、自費で海外のワークショップを受けていたり。自分も役者として努力していますと言うのが恥ずかしいくらい圧倒的な差を感じました。それで舞台役者でてっぺんをとることをあきらめました」

 

 それでも、役者はやめられなかった。

 

「自分でないものを演じるのって本当におもしろい。演技ワークショップの講師をしているんですが、『演技』って人間の本能にあるのかと思うくらい、シニアの方も子供も楽しそうに演じるんです。一度始めたら役者はやめられないと思います。だから、てっぺんは無理でも、演じる場所を見つけるため模索しました。自分のルックスは使える。役の振り幅もある。映像制作の裏側を知っている。この3つを武器にしようと思ったんです」

 

 田島は舞台から映像の世界、ドラマや映画出演を目指して準備を始めた。

 

「映像で演じる機会を増やしたいと、オーディションサイトで学生の自主映画を見つけては手弁当で参加しました」

 

 この手ごたえをつかんだころに、『アバランチ』(2021年、カンテレ)で田島はドラマに復帰。作品の監督は前出の藤井氏だ。活動休止から連続ドラマ復帰まで約8年の月日が流れていた。今年はドラマ『インフォーマ』(カンテレ)でクールな殺し屋を演じ、話題に。公開中の映画『ヴィレッジ』や、7月配信のネットフリックスドラマ『御手洗家、炎上する』にも出演している。

 

「もっと演じたいんです。オファーを待っているだけではなく、今年からYouTubeチャンネルで演技を毎日やり、作品を公開しています。週に3日は自主作品の撮影。寝る時間以外は演技のことだけ考える生活が、楽しいです」

 

 田島は、役者としてだけでなく、制作者としても “演技” に積極的に関わっている。

 

「役者としての自分はとにかく頑張るだけ。制作者としては、凄い才能が世に出る手助けをしたい。

 

 舞台の世界には古典の作品をしっかりと勉強している人が多いのですが、映像の世界には少ない。だったら、自分が『原作シェイクスピア』という縛りで新作を撮る映画祭を開催する。それで古典を知らなかった才能ある人が、新しい作品を撮り、世に出る。そういったきっかけや流れを作る存在になりたいんです」

 

たじまりょう
1987年8月27日生まれ 神奈川県出身 2007年、ドラマ『硫黄島~戦場の郵便配達~』(フジテレビ)でデビュー。『花ざかりの君たちへ ~イケメンパラダイス~』(2007年、フジテレビ)で連ドラ初出演。ドラマ、舞台を中心に活動したが、2013年に俳優活動を休業。2021年『アバランチ』(カンテレ)で本格的に復帰。近作にドラマ『インフォーマ』(2023年、カンテレ)、映画『ヴィレッジ』(2023年)がある。Netflixドラマ『御手洗家、炎上する』が7月13日より配信される

 

【NEWZEA PLATFORM】
住所/東京都渋谷区神山町42-3 3F・4F
営業時間/ランチ12:00~15:00、ディナー18:00~23:30
定休日/日曜日

 

写真・野澤亘伸
ヘアメイク・荒川瑠美

( 週刊FLASH 2023年6月20日号 )

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