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和田正人 年齢で引退のない俳優に憧れ…「夢中で仕事をさせてもらっています」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2023.07.02 11:00 最終更新日:2023.07.02 11:00
東京・調布にある「沖縄料理 みやらび」に入るやいなや、「マスターの顔を見るだけでデビュー前の気持ちが蘇る」と、和田正人は懐かしそうに笑った。今から20年前、和田は屋台からスタートしたこの店の常連客だったという。
「俳優を目指すために初めて一人暮らしをした家と駅の間にポツンとあった屋台が『みやらび』でした。ソーキそばをはじめとした沖縄料理が美味しいのはもちろんですが、常連客のみんなが優しくて、何者でもない若者だった僕にも話しかけてくれました。東京という砂漠で初めて見つけたオアシスでした」
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中学生から陸上を始め、大学時代は箱根駅伝に出場。青春を陸上に捧げてきた。
「陸上を始めたきっかけは人よりも足が速かった、だけでした。そうやって始めたのですが、結果がついてくるとみんなが認めてくれるし、喜びからやりがいも感じてきて。学生時代はずっと続けるものだとぼんやりと考えていました。ケガも多く、箱根駅伝も1年生のときは出られず、悔しかった思い出があります」
そんな和田の人生を変えたのが、大学卒業後に所属したNEC陸上部の廃部だ。
「入って2年目でびっくりしました。そのころはケガをして海外遠征にも行けず、陸上にどんなに時間と熱量を注いでも35歳ぐらいで引退しなきゃいけなくなるんだろうなと人生について考えていた時期でした。なので廃部を聞いたときに、年齢制限のない仕事、俳優という仕事っていいなと思ったんです」
突然の方向転換。和田は数あった選択肢の中から、俳優を目指した。
「大学生になって高知から東京に来て街を歩いていると、芸能人や、雑誌のストリートスナップの撮影現場を見かけて、芸能界って遠い世界の話ではないんだと気づかされました。僕はずっと陸上をやってきて陸上をするのが当たり前だったんで、もし生まれ変わるならこういう仕事もいいなと思っていました。その自分の中で当たり前だった陸上がなくなると知ったとき、神様が『俳優を目指してみれば?』と背中を押してくれた気がして。もう何かに突き動かされるように、『俳優になります』とNECを辞めちゃいました。大企業なのに」
24歳で俳優を目指すのは厳しい選択だった。
「オーディションは年齢制限で受けることもできないものばかりで。それでも何かできないかと思い、ワークショップに行って演技を学んだり、これまで陸上しかしてこなかったので六本木のバーでバイトして世間をのぞいてみたりと試行錯誤しました。で、わかったのは、人間として中身を磨かないと意味がないってこと。見た目とか芝居とかだけではない、内面が大事だと気づかされました」
だが、オーディションは年齢を理由に落ち続けた。
「(面接審査で)会ってから落とされるのだと納得できるんですが、書類と写真だけで落とされるのは理不尽だなと思い……年齢をごまかして書類を送りました。そうすると箱根駅伝に出場したことは書けなくなってしまうんですが、何にも頼らないでそのまんまの自分で勝負をするのもいいなと思ったんです。そうしたら最終面接までいき、審査員特別賞をもらって今の事務所に所属できて。そこからは、ひたすらいけるところまで突っ走ろうと思いました。翌年には年齢のことがバレて謝りましたが」