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淵上泰史、サッカー選手志望から開けた俳優への道「もっと売れなければ役者で生きている意味がない」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2023.07.09 11:00 最終更新日:2023.07.09 11:00

淵上泰史、サッカー選手志望から開けた俳優への道「もっと売れなければ役者で生きている意味がない」

淵上泰史

 

 淵上泰史は「大好きな1980年代の洋画に出てくるニューヨークスタイルのピザ店」にいた。東京・代官山にある「ピザ スライス」は、淵上と自主映画を撮っていた猿丸浩基氏が経営する店だ。

 

「映画にそのまま出てきそうな店の雰囲気が大好きで、月に数回通い、たまに台本を読むこともあります」

 

 淵上は一風変わったキャリアをたどっている。最初の夢は、プロサッカー選手。15歳からは、ガンバ大阪ユースに所属した。

 

 

「最初は三浦知良選手に憧れ、小学3年生からプロを目指していました。自分はフォワードかハーフで、ドリブラー。中3で2つ上のカテゴリーのU-17和歌山県代表や、U-14ナショナルトレセンに関西から一人だけ選ばれたり、世代別の日本代表に近い位置にいました。それでも、ガンバユースのレベルは桁違いでした」

 

 当時、ガンバユースには淵上の1学年下に元日本代表の丹羽大輝選手、2学年下には家長昭博選手らが在籍していた。そこで淵上は最初の挫折を経験した。

 

「高2の春にガンバのフロントに呼ばれて『淵上はトップに上がれない』と通告されたんです。『大学でサッカーをやるか、社会人サッカー、サッカーをやめるか、進路を考えなさい』と言われました。17歳で夢を断たれ、絶望しました。自分はガンバユースに通うため、15歳から一人暮らしをしていたから、相談する家族もなく、部屋で一人……きつかったですね」

 

 プロを諦めきれなかった淵上は、上京して流通経済大学に進学し、サッカーを続けた。

 

 19歳になったとき、人生が大きく変わる。

 

「コムデギャルソンが大好きだったので、買いもしないのに、休日は青山の本店に通っていました。そこで一人の女性とコムデギャルソンの方に声をかけられました」

 

 それがきっかけとなり2年後、世界的な写真家、ブルース・ウェーバーの作品の被写体を務めることになった。

 

「僕はブルースが誰かも知らない状態で写真を撮られていたのですが、その撮影でプロとして初めてギャラをいただきました。よくモデル出身の役者と誤解されるのですが、被写体の仕事はそれだけで、モデル経験はないんです」

 

 俳優事務所からも誘われた。

 

「コムデギャルソンで声をかけてくれた女性が、とある俳優事務所の社長だったんです。

 

 何度か食事にも行き、舞台を観に行ったり、勉強させてくれました。いまにして思うと、僕が役者になる覚悟があるのか試されていたのだと思います。しかし、当時の僕は映画は大好きでしたが、役者にはまったく興味がなかった。だから、事務所に入る意思も見せなかったんです」

 

 淵上は、声をかけてくれた俳優事務所の誘いで映画の脚本読みに参加した。だが、要求されたことを何もできず、さんざんな出来に終わった。

 

「本読みのあと、事務所の方に『父親のパン屋を継いだほうがいいんじゃないの? 役者になりたいなら、うちとは関係なくひとりで頑張りなさい』と言われました。そこで初めて『いつかは事務所に入れるかも』と浅はかな気持ちでいた自分に気がつきました。

 

 ショックで渋谷駅近くのベンチに座り、蝉の抜け殻のようになっていました」

 

 再び挫折を味わったが、すぐに奮起した。

 

「『サッカーもダメで役者の道もダメなら、死んだほうがマシ。勝手に俺の人生のレール決めてムカつくなぁ……。よし、絶対見返したるからな』。そんな反骨精神が、本気で役者を目指したきっかけなんです」

 

 2008年、大学を卒業し、アルバイトをしながら役者を目指していた淵上は、のちに映画『新聞記者』(2019年)で日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞する藤井道人監督と出会う。藤井監督は当時、日本大学芸術学部の学生だった。

 

「2人で自主映画を本当に何本も撮りましたね。安い居酒屋とかで『どうやったら世に出られるんだろう? 売れるんだろう?』とか、いつも話していたから、今も藤井監督と会うと照れくさいんです」

 

 26歳になったとき淵上にチャンスが訪れる。高良健吾主演の映画『軽蔑』(2011年)に出演が決まったのだ。

 

「僕の地元の和歌山が映画ロケ地で、ロケ地手配の関係者が母親の知り合いだったんです。『東京で役者を目指している地元の子がいる』と伝えてもらい、オーディションを受けることになりました。

 

 新宮弁が話せるということで、方言指導として作品に参加し、役もいただけたんです」

 

 淵上はこの作品が縁で現在の事務所に所属。ついに役者として道が開けた。追い風のように、2013年に29歳で出演したグーグルのテレビCMも話題になった。

 

「あのCMで『この先生役は誰?』となり、仕事のオファーが増えた気がします。あれがなければ、『昼顔』『ファーストクラス』(ともに2014年、フジテレビ)もなかったです」

 

 ようやく「イケメン俳優」として認知され始めた淵上だったが、苦悩もあった。

 

「単純に外見で評価されるイケメン枠にいきたくなかったんです。僕は遅咲きで若くもないし、イケメンの役者なんてたくさんいますから。当時は『太く長く役者として活躍するためには、芝居で評価されるべきだろう』と思っていました。でも、役者として売れるということを考えると、芝居だけではダメだったと、いまは思っています」

 

 2023年、盟友・藤井監督のドラマ『インフォーマ』(カンテレ)の演技で高評価を得て、放送中のNHK大河ドラマどうする家康』に加藤清正役で出演が決まった。

 

「自分は大河や朝ドラに縁がない俳優だと思っていたので驚きました。豊臣と徳川の間で、忠義に苦しむ加藤清正という武将を、脚本しだいですが自由に芝居しようと思っています」

 

 役者としては「まだまだこれから」だという。

 

「父親がパン職人ということもあって、同じことを毎日しっかりと続けているという姿勢に憧れているんです。だからか、役者としても、職人気質の方、役所広司さんや小林薫さんに美を感じるというか憧れるんです。自分もいつか若手役者にとってそういった存在になりたい。そのためには、自分がもっと売れないとダメだと自覚しています」

 

 2度めの挫折以降、挫けそうになったことはないという。

 

「サッカー選手になると15歳で家を出て、東京で役者を目指して……正直に言えば、両親にもたくさん迷惑をかけました。自分の夢は一人だけのものでなく、もう両親の願いでもあった、と勝手にですが思うんです。だから、挫折している暇なんてない。自分は遅咲きと言われますし、その自覚もあります。もっと売れるというか、単独で主演もしなければならない。そうでないと、『生きている意味がない』という気持ちで、役者をやっています」

 

ふちかみやすし
1984年4月30日生まれ 和歌山県出身 プロサッカー選手を目指し、15歳でガンバ大阪ユースに入団。大学までサッカーを続けるもプロ選手を断念。19歳のとき、アメリカの写真家ブルース・ウェーバーの被写体を務める。その後、俳優養成所に通い、映画『軽蔑』(2011年)でデビュー。2013年に『グーグル』のテレビCMで演じた教師役で話題に。主な出演作にドラマ『昼顔』(2014年 フジテレビ)、『インフォーマ』(2023年 カンテレ)、映画『燃えよ剣』(2021年)、『ヴィレッジ』(2023年)など。NHK大河ドラマ『どうする家康』に加藤清正役で出演予定

 

【ピザ スライス 代官山店】
住所/東京都渋谷区猿楽町1‐3
営業時間/11:00~22:00
定休日/不定休

 

写真・岩松喜平
ヘアメイク・シラトリユウキ

( 週刊FLASH 2023年7月18日号 )

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