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坂本冬美の『モゴモゴ交友録』小林幸子さんーーわたしの歌を初めて聴いた感想を「和歌山だけにウメ~~!」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2023.07.08 12:27 最終更新日:2023.07.08 12:27
数多くいらっしゃる女性演歌歌手の先輩たちのなかで、唯一わたしのことを “冬美!” と、名前で呼んでくださる小林幸子さんとの関係は、たんなる先輩後輩ではありません。
う~~~~~ん、どう説明すればわかっていただけるでしょうか!? うん、そうだ。入社試験を受けたときに面接を担当してくださった先輩……というのが、いちばん近いような気がします。
幸子さんに初めてお会いしたのは、NHK『勝ち抜き歌謡天国』の最終回となった和歌山大会でした。
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ーーこれが最後の挑戦。
もしだめだったら、山本くんのお嫁さんになって……というくらい悲壮な覚悟を抱いて臨んだ大会です。その番組のゲストが幸子さんでした。
すべての結果が出た後だったのか、それともわたしが歌い終わったすぐ後だったのか、そのあたりの記憶は曖昧ですが、「感想をひと言」と司会の方からマイクを向けられた幸子さんは「とってもよかったですねぇ」とまずひと言。
そこから長い間を取り、いきなりニカッと笑うと、「和歌山だけにウメ~~~~~」と、言い放ったのです。
もうさすが、としかいいようがありません。緊張感に包まれた会場で、あの言葉を言えるのは幸子さんだけです。
晴れて合格し、プロになったわたしですが、幸子さんのなかでは永遠に「あのときのウメ~~~のコよね」ですから、一生頭が上がりません!!
10歳でデビューし、 “天才少女” と騒がれた幸子さんにも低迷期があり、『おもいで酒』で再びトップに立たれるまで要した年月が15年……。 “苦節15年” という言葉は、幸子さんの人生そのものであり、同時にわたしたち後輩の覚悟を問う言葉であり、道標にもなっています。
これは、演歌歌手なら通らなきゃいけない道なんだ。ここで頑張らなきゃ。ここを乗り越えれば……。幸子さんの存在が心の支えだったという後輩は、たくさんいるはずです。
でも、幸子さんが本当にすごいのは “苦節15年” ではなく、その後ずっと進化を続けていらっしゃることです。
覚えていらっしゃいますよね!? 『NHK紅白歌合戦』でのド派手な衣装? あれを衣装と呼んでいいのかどうかもビミョーですが(苦笑)、初めてあの巨大幸子さんを見たときはもう、ぶったまげて腰が抜けそうになりました。
何がすごいって、お顔がステージからはるか上にあるということは、まずモニターを見ることはできないということで。しかも、イヤモニもない時代です。頼りはスピーカーから聴こえてくる音ですが、それだってあれだけの高さがあると、返しの音は間違いなくずれて聴こえているはずなんです。
それなのにです。幸子さんは、お客さんの反応を楽しみながら、カメラがどの位置にあり、今、自分をどう映しているのか、裏方さんがどういう動きをしているのか、そういうのも、ぜ~~~んぶ把握したうえで、ご自身も楽しんでいらっしゃるーー。
わたしには、絶対に無理です。歌えません。
しかも、ですよ。『紅白』でしか見ることのできないあの衣装をショッピングモールに持ち込んで、お爺ちゃん、お婆ちゃんから小さな子供まで、一瞬にして虜にしちゃうというのは、幸子さんにしかできない荒技で、最大にして最強の武器です。
でも、同じステージに立つ人間からいわせると、ショッピングモールにあれを持ち込むのは反則で~す(笑)。
さかもとふゆみ
1967 年3月30日生まれ 和歌山県出身『祝い酒』『夜桜お七』『また君に恋してる』『ブッダのように私は死んだ』など幅広いジャンルの代表曲を持つ。現在、著書『坂本冬美のモゴモゴモゴ』(小社刊)が発売中!
写真・中村 功
取材&文・工藤 晋