「『FLASH』さんね、取材依頼メールの『漫才協会は僕が支配します!(仮)』って見出しは何なんですか! 支配なんかしませんから。こういうの、すぐにネットニュースになっちゃうんですから、冗談でも書かないでほしいんですよ」
お怒りのナイツ・塙宣之(45)が「一般社団法人 漫才協会」のトップである会長職に就いた。
「たしかに、前は『漫才協会を手に入れたら……』とか、ギャグで言えたんですけどね。いざ本当に会長になると、頑張ってお客さんを呼ぶように宣伝をやっていかないといけないと思うばかりですよ」
16年間、漫才協会の会長を務めた青空球児・好児の球児(81)が名誉会長となった後任の人事だ。
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「球児師匠の腰が悪くなってしまいましてね。僕は、師匠に今後も会長職でいていただきたいって思ってたんですけど『ぜひ、塙くんがやってください』という話だったんで。理事会でも話し合いを続けて、最終的に『じゃあ僕がやらせていただきます』と」
会長を受けるにあたって、塙には葛藤があったという。
「やっぱり漫才協会のよさって、ベテランの師匠方がずっとやってるってことだと思うんですよ。会長も、本当なら60代くらいの方になっていただくのがいちばんいい。でも僕の感覚だと、このタイミングかな? ってのもあったんです。自分が会長になって、世間から注目していただくことを選んだほうがいいのかなって」
そう決断できたのは、漫才協会理事に最年少の29歳で就任以後、塙は漫才協会の “広報部長” 的存在として奮闘してきたからだ。
「テレビ番組で所属芸人を紹介して、本人からは感謝していただくこともあったんですけど、協会がらみの仕事が僕に回ってくるんで、自分が得していることも多かったんですよ(笑)。でも、会長になったんでね。これまで以上に、若い人の仕事につながるようにしていきたいと思ってます」
塙自ら、協会に引き込んだ若手も多い。
「錦鯉……は若手じゃないけど(笑)、小島よしおくんや、にゃんこスターもスカウトして入ってもらいました。『THE SECOND』で準優勝したマシンガンズにも声をかけています。入ってほしいですよね。漫才の大会で結果を残していますし、ハマるでしょうから」
熱心なスカウト活動も、漫才協会のホームである「浅草フランス座演芸場東洋館」に、もっとお客さんに来てほしいという思いゆえ。
「僕は寄席のようにね、いろんな演目を出したいんですよ。漫才、漫才、コント、漫才、ピン芸とか、そういう並びでね。それで若手を増やしたんですけど、漫才の師匠が引退して、色物だらけになっちゃったり(笑)、バランスが難しい。それに、企画がどうとか、若手中心でとか模索しても、全員売れっコのよしもとには勝てないんですよ」
週末におぼん・こぼん、U字工事、ナイツが揃えば立ち見が出ることもあるが、平日の集客は厳しい日が多い。
「テレビに出ている知名度の高い芸人じゃない日は、赤字になることもあるんです。でも僕は、所属芸人全員に、売れる可能性があると思っています。会長になると、おすすめの芸人を聞かれることが増えると思うんですけど、もう言わないようにしようと。全員にチャンスを与えたいから、全員おすすめなんです。
スポーツだって、スター性はなくても、生で試合を観ると印象的な選手がいるじゃないですか。それと同じで、劇場ならすごい推し芸人が見つかるかもしれないんですよ。とにかく一度、劇場に観に来てもらいたいです」
そして悲願は、大ブレイクする芸人の登場だ。
「協会主催の賞レース『漫才新人大賞』を2002年からやってるんですけどね。過去におぼん師匠が動いてくれて、テレビ東京さんに放送していただいたことがあったんですけど、深夜3時とかの放送で、誰も見てなかった(笑)。もっといい時間で放送できればな、と考えています。
あとは、大きな賞レースで頑張ってほしいですね。『THE SECOND』は獲ってほしかったなあ。三拍子、エルシャラカーニ……磁石なんて優勝候補って言われてましたから、いけると思ったんですけどね~」
会長になると、どのような業務が増えるのだろうか。
「あのね、別に仕事自体はないですよ(笑)。会長っていうのは、何かあったときに責任を取る象徴みたいなもの。まあ、事務局が引っ越すときに物件探しを手伝ったりとか、いろいろやりますけど、1円ももらってないですからね。交通費だけですから。理事会出たら2000円(笑)。好きでやってるだけですよ」
いかに売れる芸人を送り出し、東洋館に集客するか。塙の頭の中は、漫才協会に支配されていた。