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上地雄輔、芸能活動への道を開いた明石家さんまとの会話……「僕は挫折して失敗した人間、その日を一生懸命頑張るしかない」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2023.07.16 11:00 最終更新日:2023.07.16 11:00

上地雄輔、芸能活動への道を開いた明石家さんまとの会話……「僕は挫折して失敗した人間、その日を一生懸命頑張るしかない」

上地雄輔

 

「お父さん、お母さん、久しぶり!」

 

 まるで実家に帰ってきたように店のトビラを開けて入ってきたのは上地雄輔。店主夫妻も「雄輔、元気だった?」と、笑顔で迎え入れる。

 

 横須賀駅から徒歩数分の国道沿いにある「北京食堂」は、上地が幼いころから慣れ親しんだ味だ。神奈川県のソウルフードである、サンマー麺が味わえる店でもある。

 

 

「神奈川を飛び出すまで、サンマー麺はどこにでもあると思っていたんですよ。これを食べていると汗が止まらない。野菜炒めの具があんかけになっているから冷めないんです。餃子は大きくて具だくさんで美味しい。

 

 撮影が近くであったときに、差し入れに持ってきてくれたりもしました。久しぶりの味、美味しい」

 

 噴き出す汗を拭きながら頬張る。横須賀ということで小泉純一郎元首相一家も訪れる店だが、上地は小泉兄弟とは幼馴染みでもある。

 

「小さいころ、こうちん(孝太郎)とはプールに一緒に通っていて。中学生になると学校が違ったので野球で対決するようになって、高校時代はよく会っていました。こうちんが野球をやめた後に、(上地の)二つ下の進次郎がこうちんと同じ高校の野球部に入ってきて。こうちん、僕、僕の弟、進次郎と、学年が一つずつ違うんです。僕が横浜高校で野球を引退した後も、『雄輔くん、野球を教えて』と、弟と進次郎が友達を連れて、よく家に来ていました」

 

 彼の歴史のなかで忘れてはならないのが野球だ。小学校、中学校時代は日本代表に選ばれ、高校進学時には野球推薦のオファーが殺到したという伝説も。親に迷惑をかけたくないという思いから、野球特待生として神奈川県の名門・横浜高校に入学する。

 

「オリンピック選手でもプロ野球選手でもないので、いまだにそう言われるのは本当に申し訳なくて。でも自分が大好きなスポーツで知ってもらえるのはありがたいと思っています。野球を通じて広がったご縁もたくさんありました」

 

 本人はもちろん、誰もが高校卒業後は野球の道へ進むと思っていた。ところがある日、おもしろいことが起きた。

 

「(明石家)さんまさんが、練習中に差し入れに来てくださったんです。そのときに監督や先輩の目をかいくぐってお礼をお伝えしに行って、ずっとしゃべっていて。すると、さんまさんが冗談半分に『おもしろいし顔もええから、芸能界に入りぃな』みたいに言ってくださって。高校では(学校の)敷地の中にある寮での生活だったので、外部の人とふれ合う機会は皆無。3年生になってやっとコンビニに行けるぐらい(笑)。

 

 そんな生活のなかでさんまさんといろいろお話をして、野球以外の職種があるんだなって。違う選択肢を教えていただいた感じでした」

 

 そんなとき、野球観戦に向かう東京・表参道で、芸能事務所からスカウトされる。

 

「高校ではお金はかけさせないと親に啖呵を切ったのに、2年生のときに怪我をしてしまって、手術やリハビリでお金をかけさせてしまった。少しでも親の手助けになればと、バイト感覚で芸能界の仕事を始めました」

 

 軽い気持ちで始めたものの、偶然にも横須賀が舞台だったドラマ『L×I×V×E』(1999年、TBS)のオーディションに合格。TBSがある赤坂もドラマの収録も初めての海外のようで新鮮だった。

 

「野球も対戦相手は毎回違うので、オーディションもドラマの現場もそれと同じ。初めての仕事、初めての現場も緊張はしなかった」

 

 ドラマや映画に出演しながら数年がたったころ、出演した『クイズ!ヘキサゴンII』(フジテレビ)で、迷解答や珍回答を連発、 “おバカタレント” として大ブレイクする。

 

 2008年には同番組からつるの剛士、野久保直樹と音楽ユニット「羞恥心」を結成。同年には『NHK紅白歌合戦』にも出場する。

 

 翌2009年には自身が作詞した『ひまわり』でソロデビューを果たす。歌手・遊助の活動は来年で15年を迎える。

 

「歌手になろうと思ったわけではなかったけど、ブログに綴った文章や言葉を読んで『元気をもらいました』というお便りをけっこういただいて。言葉の力で人が元気になったり、力を与えることができるんだなって。もちろん、詞を書くことは自分の中をえぐられるし、大変な作業です。

 

 当時は役者でバラエティや音楽をやっている方が少なかったので、白い目で見られることもありました。ですが、一生懸命やっていくうちに各ジャンルのみなさまが認めてくださり、かわいがってくれたお陰で今があると思います」

( 週刊FLASH 2023年7月25日・8月1日合併号 )

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